「何者かにならなければならない」という呪いについて

なぜ、親は子どもに習いごとや多様な経験をさせたがるのだろうか。
豊かな人生とか、選択肢を増やしたいとか、いろいろ理由は
あるだろうが、将来に役立つかもしれないから、とさせている気持ちが
少なからずはあるからとも言える。

なぜ将来のためにいろいろな経験をさせたがるのだろうか。
それは、「何者かにならなければならない」という思いがあるからではないだろうか。

その思いは、「個性」「特別」とか、そういった言葉がもてはやされる時代になり、
より一層強くなったと思う。なんだったら40代に入っても、まだそんな気持ちに
追い立てられている人はいるかもしれない。
私もその一人だった。

自分にはまだ可能性がある、何かできるかもしれない。
未来、希望、成功。
それを手にしないと成功じゃない、幸せじゃないとさえ
感じていたかもしれない。

だけど、ふと会話の中で出てきた言葉に
ハッとさせられた。

「何者にもならなくていい」

どんな仕事であっても、その人に合った場所や
仕事内容で働き、日々生活に困らないくらいの
報酬と、あたたかい布団と、ごはんが食べられるなら、
それで十分。表に立つ仕事、裏で支える仕事も
差がない。「何者かにならなくても人は幸せになれる」

自分も含めて、子どもに対しても
常にそんな心持ちでいたいと思う。
いつも「何者かにならないと人として成功できていない」
「人よりも幸せに生きられない」
と思い込んでいるとどんな状況にも渇望してしまう。

今手にしている幸せをじっくり見つめ直すという意味でも
子供が今どんな輝きを放っているか観察する
時間としても、そんな考え方を忘れないでいたいと思う。

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