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親の介護をしながら介護職

介護離職

親の介護のために仕事をやめたのは10年前。ある日突然、母が脳出血に倒れて要介護5の寝たきりになってしまったのだ。父は家のことは何もできず、妹は海外住み。介護できるのはどう考えても私しかいない。「母を施設に入所させるか、家で介護をするか?」 という二択で、悩んだ末に、私は母を家に連れて帰るほうを選んだ。在宅介護だ。

介護をするのだから、仕事には出られない。介護離職は覚悟の上の選択だった。だが失ったのは仕事だけじゃなかった。介護をはじめることで趣味もすべて失った。38才だった。

無職期間

無職というのは情けないものだ。心細いだけでなく、大人として物悲しい気持ちになる。もし今、事故に巻き込まれたらメデイアに「無職のたかはたさん(38才)」なんて報じられるわけである。いたたまれない。

なんとか稼ぐ方法はないかと画策してみたが、寝たきりの母から目を離すことができず思うようには動けなかった。その頃は現役だった父のスネをかじって生きていくしかなかった。

社会復帰へ

それから3年間、私は母をリハビリしまくった! 朝昼晩と立つ練習をしたし、トイレを上手に使えるように特訓した。体力をつけるためあちこちに出かけ、海外旅行にまで連れていった。

親孝行なんかじゃない。自分のためだ。母が元気になれば私はまた働きに出られる。そう目論んで頑張ったのだ。無職の状態から抜け出したかった。自分で稼いで趣味も楽しむ「自分の人生」を生きたかった。

その甲斐あって母はだんだんと元気になった。ヘルパーさんの助けをかりてトイレが使えるようになった。体力もついた。デイサービスにも安定して通えるようになった。ほんのわずかだが、私は自由に動ける時間を手に入れた。

さあ、社会復帰だ!

在宅介護しながらどうやって働くか?

社会復帰・・・といっても、私が働けるのは母がデイサービスに通っている間だけ。週4日、9時半から4時半というところ。パートかアルバイトという働き方になる。

問題は、どんな仕事をするか、どこで働くか、ということだった。幸いにも受け入れてもらえそうな職場はいつかあった。

仕事を探すにあたり私は2つの条件を考えていた。1つは「在宅介護に理解がある職場」。母の体調次第では仕事を休まなければいけないからだ。そしてもう1つは「自分のためになる仕事」。時給だけで選ぶのではなく自分の人生にプラスになる仕事がやりたかった。

決めたのは、訪問介護の仕事だった。

介護しながら介護する

私は若い頃に訪問ヘルパーの資格をとり、1年だけ働いたことがあった。そのときは正直「あんまり向いてないな」と思ったものだ。だがその1年の経験が母を介護するときにとても役に立った。

訪問ヘルパーの事業所なら在宅介護に関してどこよりも理解があることは間違いない。仕事を通して介護の知識を増やせば、母を介護するのに役に立つだろう。介護が楽になれば、自分の人生にもプラスになるはずだ。そう思った。

それに訪問ヘルパーの働き方はちょっと特殊だ。自宅から利用者さんの家へ直行し、1時間前後で直帰できる。家と職場を行ったりきたりできるのだ。つまり、母をベッドに寝かせておいてちょっとだけ仕事へ行く、という働き方も可能。

「訪問ヘルパーなら在宅介護をしながら働ける!」

介護を武器にする

だが周囲の反対も大きかった。「家で介護、仕事も介護なんて。絶対にストレスがたまるよ」というわけ。介護をしながら働く人の多くは「仕事が気分転換」というものだから。

それでも始めてみたら楽しかった。同じ介護でも家族と仕事ではぜんぜん違う! 働くってこんなに楽しいことなんだ。

いろんな人に出会い、いろんなお話を聞き、いろんなご家庭でいろんな介護を経験する。仕事での経験を母の介護に活かし、また家での介護を仕事に活かす。なんという双方向。

介護はストレスになるどころか、私の武器になった。介護のブログを書き、本を書き、いつしか趣味まで介護漬けになっていた。現在は介護福祉士の資格をとるべく勉強をしている。毒食らわば皿までも!というべきか。

親の介護をしながら介護職

親の介護をしながら介護士として働く。それはとても偏った人生だし、偏った働き方といえるだろう。私が「今は毎日が楽しい」と言っても信じない人もいるかもしれない。それはきっと「介護=不幸」だと思いこんでいるせいだ。在宅介護はたしかに大変なこともあるけど、楽しいこともある。幸せだってたくさん、たくさんある。どんな人だって、どんな人生だってそうだろう。

私は母を介護することを自分で選んだ。介護の仕事も自分で選んだ。自分自身で選び、決めてきた人生だ。だから後悔していないし、楽しいのだと思う。これが #私らしいはたらき方  だ。

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