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持続可能な介護を目指す

近頃、SDGsとかサステナブルという言葉をよく聞く。Sustainable。持続可能なという意味だ。在宅介護もそうありたい。持続可能な介護を目指したい。サステナブル介護。続けられる介護。なにしろ介護は「出口の見えないトンネル」に例えられるくらい、いつまで続くかわからないから。

私の母は65才で要介護になった。在宅介護を始めた頃はもう必死。母の介護に慣れていないから、退院して1か月は毎日がてんてこまいだった。これで正しいのか。このやり方で大丈夫なのか。どうしたらもっとうまくいくのだろうか?試行錯誤の毎日だ。3か月をすぎる頃にはだいぶ慣れてきたが、それでもまだまだ大変で
「ブラック企業にいたときよりもずっとマシ!」
などと言っていた。我ながらよく頑張っていたと思う。
そして頑張りながら
「女性の平均寿命は90才くらいだから、これがあと25年続くのか・・・25年って、長!」
と絶望のため息をついたものだ。

あれから8年。今はもう、ほとんど頑張ってない。むしろ「頑張ったら負け」とさえと思っている。ほとんどニートの発想である。いや、省エネなのである。サステナブルな介護なのである。

私が思うサステナブルな介護とは「お互いにとって楽であること」。頑張りすぎて介護者が倒れたり、精神的に疲れてしまい「もう無理!」なんてことになったら続けられない。細く長くつづけることを目標にしている。

たとえばリハビリ。そりゃ、リハビリは毎日したほうがいいに決まっている。家でもやった方がいいに決まっている。でも、しんどいじゃない?はっきりとした成果が出るものでもないし。「毎日◯◯分はリハビリする!」なんて強い目標を定めたら、お互いイヤになってくる。するほうも、されるほうも、両方しんどい。在宅介護も3、4年を過ぎたらリハビリに飽きてくる。状態が落ち着いていれば、ある程度「気が向いたときで」いいと思う。

それから我が家の場合はトイレ攻撃。
「トイレに連れていって」
と10分おきに頼まれるときがある。これは精神的なもので本当に尿がでるわけじゃない。さっきトイレに行ったことを忘れてクセになっているのだ。

全部つきあっていたらキリがないから、30分に一度とか、3回に一度とか、あんまり無理のない頻度を決めておく。
「トイレくらい好きなタイミングで行かせてあげればいいのに」
と思われるかもしれないが、これが一晩中だと眠れない。毎晩だと病気になる。何ヶ月も何年もつづくといつか殺したくなる。

何時間もほうっておくのじゃなかったら、ある程度は介護者のタイミングに合わせてもらってもいいと思う。叫んでうるさいけどある程度はほっとく。もし間に合わなくても、転んだとしても、それはもう運命だと思うことにする。
「死ななかったらOK」
とあきらめよう。でないとこっちが潰れてしまう!
時間をきめてガマンさせているうちに母の頻尿はなくなり、よく眠るようになった。

ヘルパーもデイサービスもショートステイも、使えるものはなんでも使う。遠慮はいらない。『レスパイトケア』という言葉があるが、それは「家族が一休みできる介護」という意味だ。レスパイト入院という言葉まである。必要だから、大事なことだから、そういう言葉が存在するのだ。

もちろん、体調不良の日とか、認知症がガクンと進行したときとか、頑張らなくちゃいけないときはある。でもずっとは無理。ときどきなら頑張れる。緩急をつけて、必要なときだけ頑張ればいい。

休んでもいいんだ。
楽をしてもいいんだ。
手抜きだっていいんだ。
頑張らなくていいんだ。
持続可能な介護のために。
細く長く、続けられますように。

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