迷惑をかけ合って生きたい
いつも明るい、とても魅力的な友人。そんな彼女は結婚願望があるけれど、まだ一度も結婚をしたことがない。
何がなんでも結婚したいという事ではなさそうだけれど、一度はしてみたいと言う。
仕事は忙しいながらもやりがいがあって、プライベートも充実しているようなので、むしろ今の方が自由に楽しめているのではないかと、こちらは勝手な想像をしてしまうけれど、彼女は知り合ってからずっと結婚したいと言っていた。
なんで結婚してみたいの?と聞いた私に対しての答えが、
「迷惑をかけ合って生きたい。」
この返答を聞いたときのことはよく覚えている。自分の中にあるフィルターが一瞬で変わる、そんな衝撃を受けたから。
エスパーではないので、彼女の返答は聞くまでわからないけれど、私は質問した時点で、いくつか想定出来る答えのうちのどれかだと思っていたのだと思う。
彼女の答えはその想定を飛び越えて、全く予期していなかったところからやってきた。
そして私はこの答えは本質をついているように思えた。
”人に迷惑をかけないように”
子供の頃、親から言われたことがある人も多いかもしれないが、私もそのうちの一人。迷惑をかけることはよくないことだと教えられてきた。
確かに迷惑をかけることも、かけられることも嬉しくはない。そのために想像力を働かせて考えた行動が求められるということでもあるのだけれど、ひとことで迷惑といっても、社会的な迷惑もあれば、もっと個人的な迷惑というのもあって、迷惑の幅は実に広いと思う。
例えば、公共の場においてはある程度常識の範囲という認識があって、それぞれが意識しあって行動するということが求められており、具体的に迷惑だと思われる行動が存在している。誰しもが迷惑だと思うような行動は問答無用で迷惑な行動ととられる。
しかし、そもそも迷惑というのは、ある行動を受けた側が迷惑と感じたら迷惑になるというもの。感情と同じで、こちらが意図せずとも、相手が迷惑だと思った時点で迷惑な行動になる。
個人的な迷惑は相手次第であり、相手との関係性や距離感も影響する。
私がどんなに親切心からの行動であっても、相手が迷惑だと感じたならば、それは迷惑な行動でしかないということ。何が迷惑になるのかの明確な物差しは、人の数だけあるといっても過言ではない。
迷惑をかけないということは、とても難しいことなのだと思う。
個人的な迷惑においては、迷惑の捉え方がちょっと複雑な点もある。
迷惑をかけること=誰かになにかをしてもらうこと
と、とらえられてしまっている面もあるということ。
この捉え方が人によって大きく違うように思う。
私の母は自分の老後のことで、
「子供に迷惑をかけたくない」
と言う。
母からしてみれば、自分の介護は迷惑をかけることだと思っているのだけれど、私からしたら捉え方は違う。
大変だと感じるだろうけど、迷惑だとは思わない
母からしたら迷惑だと思っていても、私にとっては迷惑とは限らない。
けれど、私が大変だと思うことは、母からしてみれば迷惑をかけることと同じで、それは受ける側の感覚だけでなく、何かをさせる側の判断もまたそこに反映される。
さらに言えば、身近な人との間にはもっと違う捉え方もある。
友人が私に何かを頼むときに、
「迷惑をかけてごめんね。」
と言う。本人は本気でそう思って言っているけれど、私にしてみれば迷惑どころか、嬉しいと感じることだったりする。
いつも頑張っている友人が頼むということは、それだけ大変だということであり、そういう時に自分を頼ってくれることは、むしろ有難い。
大変なのがわかっていても何もしてあげられず、見守るだけしかできないから、少しでも私に出来ることがあって、それで友人が助かるのならば、嬉しいのは私のほう。
そして頼ってくれるということは、信頼がなければ出来ないこと。
迷惑は大変なだけでなく、喜びになることもある。
けれど、友人にとってはきっと迷惑をかけてしまう、私に大変なことをさせてしまうという気持ちがあるのも事実。
彼女がそれを当たり前だと思って言ってきているわけではないことを知っているから、私は迷惑だとは思わないし、思えない。
それは信頼関係があるから成り立つことで、その関係性を見誤れば、単なる迷惑にもなりえることでもあり、迷惑は内容だけで判断がつくものではないとも思う。
生きていれば、身近な人であろうとなかろうと、必ず誰かの世話になり、迷惑をかけずに生きていくことは無理だと思う。
迷惑をかけない努力をしても、それは自分だけの判断によって成り立つことではないし、人の支え無くして生きることはできない。
大きな意味では、人は迷惑をかけ合いながら生きているのだと思う。
最初は好きで結婚したとしても、結婚生活となれば好きだけでは成り立たない。人生を共に生きる以上、自分たち以外のことで問題が発生することもあるだろうし、越えなくてはならない試練にぶつかることもあると思う。
結婚生活においては、一緒に楽しく過ごせる相手よりも、困難を共に乗り越えられる相手のほうが、おそらくずっといいのだと思う。
困難を一緒に乗り越えてくれる人とであれば、楽しい時を過ごすことは自然と出来るだろうし、信頼関係がなければ、そうはならないはずだから。
「迷惑をかけ合って生きたい」と言った彼女の言葉は、そういう意味なのだろうと私は受け止めた。
結婚相手と生きる中で様々な出来事があっても、それを一緒に越えていこうという、前向きな彼女らしい理由だなと思った。
言葉にはその人が現れるというけれど、まさに彼女の本質を現わしているのだろう。
どうりで素敵な人なわけだ(笑)。
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