600円で学んだ経験

人生は選択の連続と言うけれど、ほとんどは選んでいる実感もないままに選択していることも多い。

しかもその時に思考癖が影響していることもある。
行動の癖と同じで、思考の癖も癖と気づいていないから、同じような状況で同じパターンで行動してしまい、毎回同じパターンで選んでいるということにある時気づいた。

***

コンビニに「一番くじ」というハズレなしのキャラクターくじがある。
私が買っていたのはずいぶん昔のことなので、今は仕組みが違うのかもしれないけれど、当時は店頭に賞品が飾ってあったので、欲しい賞がくじ内に残っているのか、店頭を見れば一目瞭然だった。

だから、欲しい賞が残っていて、かつくじの数が少なくなっているときは狙い目と言える。当たる確率が確実に高くなっているからだ。
とはいえそんなラッキーな時はなかなかないのが現実。

上位の賞は1~2点しかないので、当てるのもかなり難しい。くじの多くは下位の賞が締めているので、上位であるフィギュアが欲しいと思ってくじを買っても、下位のメモやノートがどんどん増えていく・・・当然のことながら買い続けるとそうならざるを得ない。

これ以上メモはいらない!そろそろくじを買うのをやめようと思っていた時、まさにラッキーな状態がやってきた!

店頭の賞品は下位も少なくなっているのに、欲しいフィギュアが1点残っている。
これはまさにチャンス、買うなら今しかない!
もし新しいくじがワンセット入荷してしまったら、それこそ欲しい物を当てる確率は激減してしまう。

しかし私はラッキーチャンスと思いながらも、くじを買うことをためらってしまった。
確率が高くなったとはいえ、当たるというわけではない。またノートかメモが増えてしまうかもしれない・・・むしろそっちの可能性のほうが高いのは間違いない。

当時くじは1回600円。最後の一回として引いたとしても大きな痛手とは言えなかったが、どうせ当たらないだろう。かなり迷ったけれど、最終的には諦めが勝利し、店を後にした。

しかしくじの事がどうしても頭から離れない。あれだけくじが少ないならば当てることができるんじゃないか、こんなチャンスもうないし、これを最後にすればいいじゃないか!

どこかで終わりを作らないとずっと買い続けてしまいそうな不安もあったので、とにかくこれで終わり、これで最後!そう自分に言い聞かせた私は、数時間後に再度店に向かった。

ところが店頭は数時間前と姿を変えていた。
私が店を後にしてから数時間のうちに、あたらしいくじのセットが納品され、店頭にはすべての賞品がキレイに陳列されていた。

私の欲しかった賞品は2点追加され、合計3点になっていたが、くじの総数が増えているので当たる確率としてはかなり低くなっている。

なんであの時買っておかなかったのか、こんなことになるなら数時間前に買っておけば良かった・・・。
この状況ではとても当てらないだろう・・・。
私はあきらめて店を出た。

しかし店を出て数歩あるいたとき、ふと頭に疑問が浮かび足を止めた。


・・・確率が低いと当たらないの?そう決まっているの?


確かに確率が低いのは間違いない。けれど、当たらない可能性はないわけではない。
そもそも確率で物事を判断していたら、たいていのことは確率低いんじゃないか!?

そう、私は確率という数字で選択をしていたことに気づいた。
最初のうちは当たるとか当たらないとか気にせずに、楽しんで買っていたけれど、目当ての物が手に入らないという現実を知ってしまい、それが重なるうちにどんどん楽しみは消え、変わりに当てられることは難しい、その方が無理だという気持ちが大きくなっていた。

だから確立に頼った。数字で見える可能性を頼った。確率が高いほうがリスクが減ると判断していたのだ。

でも本当にリスクは減るのだろうか?
毎回確率で判断していたら、多くのことが無理になってしまうのではないか?選ばない選択そのものがリスクになることだってあるのではないか?

そもそも確率が高い低い以前に、
「欲しい物を当てることは難しい、無理」
という気持ちが自分の中にあること、そんな気持ちでくじを引いたところで当たるのだろうか?
こんな選び方は違う。たとえ確率が低くても、当てたいと思ったのなら真っ向勝負すればいい。最初から負ける気でいくことの方が間違ってる!

店の前で立ち止まって考えていた私は、思い直してもう一度店の中に足を踏み入れた。
そしてまっすぐにレジに向かいくじを引いた。

この時にはもう当たる当たらないはどうでもよくなっていた。
中途半端な迷いが消えて、すがすがしい気持ちになっていたので、もうそれで充分だったのだ。
600円のくじを一つ買うのにオーバーすぎると思いながらも、何か大きなものを手に入れたような満足感に満たされていた。

きっと私は今までも同じような選択の仕方をしてきたのだと思う。可能性が低いからやめようとか、言い訳にしていたように思う。
今でもその気持ちがゼロとは言わないけれど、この時のことを思い出して時には勇気を出してみることは大事だと思えるようになった。

くじの結果はどうだったのか?というと、私は欲しかったフィギュアをゲットした。もしこれで当たっていなかったら、こうして記憶に残っていなかったかもしれない。

もっともその時の私は欲しい賞品を当てたのに、驚きのほうが大きくてしばらく呆然としてしまったのだけれど、何か腑に落ちた気がした。
当てたことよりも、当てるまでのプロセスが大事なのだと教えられたような気がしたのだ。

くじを買う買わないの選択なんて本当に小さな選択だけれど、結果の大きさはいつだって予想を超えているのかもしれないし、選択する内容の大きさにかかわらず、基本は同じなのかもしれない。
結局選択したことしか知りえないのだから。


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