富山夫婦喧嘩考ー倭大乱

富山に有名な夫婦喧嘩の話があります。

富山舟倉(大沢野)の姉倉比売と石動(伊須流伎いするぎ)比古(富山と石川県境)は夫婦だった。ところが、石動比古が能登の姫と浮気した。怒った姉倉比売と石動比古の間で壮絶な夫婦喧嘩が始まる。姉倉比売には富山の立山尖山に住む布倉比売という妹がおり、その妹は鉄を投げ、姉倉比売や石動比古は石を投げつけた。

大国主が仲裁に入り、両者を罰した。姉倉比売は舟倉から呉羽に幽閉された。(呉羽にある姉倉比売神社は古墳の上に立っています)

というお話ですが、個人的に、この話は倭大乱を象徴していると考えています。紀元2世紀頃、倭国が乱れた時代があり、それを治めたのが、卑弥呼。卑弥呼は奇術を用いて、人々の前に姿を見せず、ただ一人給仕の男だけが身の回りの世話をした。

邪馬台国の卑弥呼と狗奴国の卑弥狗呼は犬猿の中でした。富山の呉西と呉東は仲が悪いのは、この歴史的な分断が関係していると見ています。フォッサマグナと周辺の山々が歴史的勢力分布に大きな影響を与えています。(カグツチとフォッサマグナ参照)

布倉比売が鉄を投げた、この点は大変重要です。

周りの人が石の武器しか持たない時に鉄の武器を持っていた。さらに立山尖山に住むと言う。布倉は、織物が盛んであった事を象徴する。つまり、鉄と布の産地。

先代旧事本記によれば、物部氏は、富山新川郡の出身です。新川とは常願寺川の事で、立山が源流です。

神武天皇記に登場する布都御魂(甕布都神)と呼ばれる刀。物部氏の石上神社に奉納される刀です。

立山を象徴する剱岳。黒部峡谷を挟んで長野側は後立山と呼ばれる山々が連なる。

大伴家持は立山を「神々の住む山」と言いました。もっともっと立山の歴史的存在意義に焦点を当てる必要がある。





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