石女考


石女
産まずめ、セキジョと読む
不生女とも書かれる
要するに、子供の産めない女性に対する差別語とされる

石は軽んずる物としての意味とされる
石っころみたいなともいう

だが、石は宝も意味した。磨けば珠になる。
決して差別用語ではないと思う
そもそも男尊女卑下の差別用語とされるが
男尊女卑なんぞ明治に始まる浅い歴史で
それ以前、女性は生活の中で確固たる地位を確立していた
なので、明治以降、子供を産まない女性に当てられた言葉の意味を、偏った見方で理屈づけたのだと思う

一つめの仮説
石はイシだけでなくイソとも発音される
磯女ならば、海女(あま)
海人(あま)でもあり、海人は男女で漁を行う
尼(あま)は、男女が安らぐ形である。
つまり、石女は男女から転じて女男を指すようになった。
宦官のように男性器を切り取った男性。
女性的な男性。
故に、子供は産めない。
イソは五十とも書く。つまり50女。
閉経を迎え、子供が産めない。
(差別で言ってないです。個人差があれど肉体的に限界のラインです)

二つめの仮説
うまずめー馬頭女
馬頭は髪型、髪を垂らすのは巫女。
髪=神を下ろすからですね
神に仕える身のため、子供を産んではいけない
石はセキとも発音され、石女ー赤女に転じる
赤は朱色であり魔除けの色、巫女の色となる。

三つめの仮説
不生女は、ぶしょう女とも読め、武将女に転じる。
つまり、猛々しい男装した女性であり、
偽りの性を選択して子供を産めない状態となっている
上杉謙信は女性説もある武将。

無精女としても、面倒くさがって女を磨かない状態になれば、相手にされず、子供が作れない…

一つめの仮説の場合のみ肉体的に子供が産めない状態
残り二つは、状況によって子供を産めない状態
特に三番目は、現代にも現れている。
オス化した女性、疲れ切った女性、子供を作れる精神状態にない。

ちなみに明治以前は、性については非常におおらかな社会だった。あまり男女の形にもこだわっていなかったと思う。
つまり、石女が差別用語となったのは、男尊女卑下の話であり、不妊とは関係ないし、そこにこだわるのは女は子供を産むものという価値観、固定概念に過ぎない。
個人的に、産むでなく、育む力が母性であると思う。

ただ律令制は、支配階級には窮屈な状態を生み出した。
女性の方が力が強いのに、建前として男性が上にされた

それが、柿本人麻呂、紀貫之という存在を生む。
女性が男装して役人になる。
彼女らは非常に有能であった。
だが制度上、女性がなってはならない職
それを誤魔化す為、存在が分かりにくくなった。

石女から、古代史に思いを馳せた。




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