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最近のこと

 日々の寒暖差にぐったりする日々のなか、突然桜が満開になったと思ったら散っていた。今年も花は短かったようであっという間に「それらしい春」は駆け抜けて、晴れた日も日光は穏やかな暖かさよりも肌に厳しい強さを届け始めている。

 最近はなにもかもが落ち着いている。自分のなかにある基準値が下がっただけかもしれないが、何をしても割と満足がいく結果になる。これは人間環境(人間関係ともちょっと違う)との付き合い方を変えたことも影響として大きいだろう。少々問題が有るとすれば文章への渇望みたいなものだろうか、多少駄目な時のほうが筆がすすむというやつだ。別にいいか、その時が来たら私のことなので間違いなくお気持ち長文を書くのだから。

 「この関係はNG」という範囲を広げた。例えば、去年の7月から今年の4月の間、断続的に暇になれば他人の主観的悪口を送ってきては訳のわからないダブスタ持論を展開する「病弱だから養ってほしい自称お嬢十代女子」を断罪したり、等価の情報開示をしない人やそのような付き合い、話ができない関係には見切りをつけたりした。自分のことは理解されないと嘆くが、他人の場合は考えもしないどころか自分にある一般的常識基準で他人を殴っていることに気が付かない人と会話をすることは、やはり自己中が過ぎて疲れるものである。

 ちょうど三年前から更新を考えていたメインPCを交換。モニタも一部交換することにしたので十年ぶりの更新になる。世界情勢がどう転ぶかわからないとこういったものを調達するタイミングは難しい。資金が有り余っているような人は知らないが、社会では底辺組に属する私には難しい問題なのだ。ずいぶんと思い切ったために今月の請求が他のものとあわせて50万近いので、貯金をおろそうか悩んでいる。世間では50万などは端金なのだろうとは思うが、とりあえず懸念事項の一つがこれで消えた。それにしても十年も共にいてくれた旧PCには感謝しかない。君がいなかったら私は只のナマモノでしかなかったし、日々の鬱屈さに耐えきれずにキレていたと思う。しかし更新と言っても調子が悪いところはひとつもないから、後ろめたい気持ちでいっぱいである。廃棄など非機道的な酷いことは無論しないので、Linux機として生まれ変わる予定ではあるが、使用目的は決まっていない。実は生まれてから自分が中心に使ってきたPCの類について、致命的に壊れたことは一度もない。みんなかわいい。すき。

 覇権内の相談室。最近は他にやりたいことがあるため頻度は激減している。無料ということで評価のハードル自体が低いという可能性はあるにしろ、感謝されることが増えてそれ自体はとても良かった。実際に考え方が変わって楽になったといった人もいるようだ。唯一問題なのは、私がよく覚えていないという状態であることかもしれない。秘密保持の側面から見たら最適なんだろうが、流石に多数の人と話をしており、それにメモもなければ忘れるものである。時々別の対話サービスをやらないかと誘われるようになったことも、ありがたい状況かも知れない。しかしどう考えてもホストは面倒そうなので無理である。

 仕事は基本あまりやらない。無論、やるけどやらない。事実上、正当な方法で下剋上に成功したことが大きいのだろうが時間という損失はそれと同値となりえるかは少し疑問ではある。他人から見たらその耐える事自体も愚かな時間だったかもしれないが(大体の人は環境を変えろと資金も出す気がないのに言及してくる)、社会的に自立をしながらするに自分が選択できた中では最適解だったと今では思っている。関係者が都合よく無視をした我が血族の揉め事も自分なりに解決に関わったし、頑張りすぎた気もする。世の中、誰もがやりたくないことがあるだろうが誰かがやっているから、仕組みとしてなりたっている部分もあるので、出来ることなら自分でもやっておきたい。当然だが私は「嫌なことは皆やりたくない」という理論がわからないのではない。時々こんなアホみたいなことを解く人がいて辟易する。誰かが貧乏くじをひかないと駄目な時だってある。当然だ。それらから一生逃げて回っている人生より、私は堂々としていたい。まあ、たまには楽はしたいけどもね。

 最近、呪いみたいなものが発動するのでちょっと怖い。大半は偶然であろうし、そんな気がしているだけだろう、多分。それと姪が変人まっしぐららしく、素質が似ている部分があるそうでどういうわけか厳しい目が私に向けられている。何も干渉していないので完全に私は無罪である。理不尽極まりない話だ。

 さて書きたいことも書いたし、今日はPCが届くのでちょっとサボってこのへんで帰ることにする。