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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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#哲学

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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まともな大人になるためにこそ、ボケッとする時間が必要だ

 何しろ人間は、ボケッとする時間をとらなくてはいけない、ということを、最近はよく考える。

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本にも読まれるべき「旬の時期」というものがある

 哲学についてのエントリを長々と書いておいてからいうのもアレなのだが、このところ私は狭義の哲学というか、いわゆる形而上学の分野に属するテクストの多くについて、さほど興味をそそられないようになっている。もちろん、形而上学が問題とする領域そのものについて無関心になってしまったわけではないのだが、とりわけ西洋哲学がそれを取り扱う仕方というのが、いまの私にはあまり魅力的なものとは感じられなくなっているということだ。

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哲学とは虻のようにウザいものである

 前回のエントリでは、「世間一般の人々が考える哲学を、そのまま自分でもやってみる」ための実に簡単な方法について述べたわけだが、とはいえシンプルなことであればあるほど、それを愚直にずっと貫き通すためには一定の困難が伴うのも世の常である。そんなわけで、今回は前回の補論として、哲学をやり続けることの難しさと、それを少しでもましにする方法について、簡単に述べておきたいと思う。  まず最初に、誤解してはならない前提について確認しておきたい。それは、哲学というのは基本的に「地に足のつい

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「哲学入門」のための、実に簡単な方法について

 前回のエントリの続きである。そこでも予告したとおり、今回は「日本において(世間一般の人々がイメージする)哲学をやってみたい人はどうすればよいのか」ということについて、簡単に記してみたい。「そんなに容易にできるようなことではないだろう」と思われる人もいるかもしれないが、実際のところ(少なくとも初歩のうちにやるべきことは)全く簡単なことにすぎないのである。

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「哲学」の範囲は狭くなりがち問題

 そもそも日本では、(主に玄人筋が)「哲学」の範囲をむやみに限定してしまいがちなところはあると思う。

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待っているだけでは起こらないこと

 バレンタインデーというタイミングではあるのだが、そんなことはいっさい気にせず、我々は『仏教と儒教』の読書会をやっていたのである。やはり哲学の話はよい。形而上学的な話を存分に語り合うことによってしか、得られない養分というものはたしかにある。

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いちからせつめいしないとだめ

 先日のキャスで現代日本の諸問題とその根源について論じていたら、徐々にヒートアップしてしまい、久しぶりに(?)お気持ちを爆発させてしまった。 (※録画視聴パスは、1月2日のエントリより取得できます。)

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「人格」や「尊厳」とは、そもそも一体なんだったのか

 昨日のエントリでは哲学教育の意義について述べたけれども、それでもやはり、「そんなことをやって何のメリットがあるのかわからん」と感じた人はいるかもしれない。そこで今回は、現代日本社会において私たちが日常的に使用している「人格」及び「尊厳」という言葉(概念)に着目して、その哲学的背景について略述してみることにより、こうした疑問に対する別の角度からの回答を試みてみることにしたい。

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「お行儀のよい被治者」の育成システム

 今月最初のエントリで「自律(Autonomie)」について考えたい、といったことを書いたけれども、そもそもこの概念自体が高度に哲学的なものなので、それについて語るとなると、ウェブ記事の範囲では、なかなか難しいということになる。日本の人たちは多くの場合において、このような哲学的概念(術語)の扱い方について十分な教育を受けてはいないし、ゆえに基礎的な知識や理解も、残念ながら不足しているからだ。

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思想や言説の力をナメたことによって、むしろその奴隷と化す人たちのこと

 昨日のエントリでは言葉の定義を明確にすることの重要性について述べたけれども、そのようにしてクリアなものとされた術語や概念を積み重ねて、説得力のある思想を語ることは当然ながらそれ以上に重要である。ただ、本邦では残念ながら、言葉や思想が現実に有する力のヤバさについては、あまり敏感でない人が多いようだ。

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あの人たちの「客」は私ではない

 千葉雅也『現代思想入門』を読んだ。たいへんよい著作だと思ったが、だからこそ、「やはりこのフランス現代思想なるものは、少なくとも私個人にとっては無用のものだな」という従来からの所感を、改めて確認することにもなった。

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私の中で繋がってしまっていること

 というわけで、2022年最後のエントリである。光陰矢の如しという決まり文句をいいたくなるのは毎年のことだが、とはいえ今年も、実にいろいろなことがあった。

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嫌われまくっている「人文学」さんのためにできること

 私は「人文学の中の人」でもなんでもないのだが、因果の不可思議により、このところなぜか humanitiesに関するエントリをいくつも書くことになってしまっている。

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