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2022年11月の記事一覧

「当たり前の話」はさぼらずしましょう

 2022年11月も終わりである。先日のツイキャスで『仏教と儒教』の著者である荒木見悟博士や、その同世代の学者たちの勉強の様子について話しながら、「やはり基礎的な知的訓練というのは大切だなあ」などと当たり前のことを考えたのだけど、その「当たり前のこと」を再確認させられたのが、この1か月でもあったと思う。 (※録画視聴パスは、11月1日のエントリから取得できます。)

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「人文学」は、あなたが価値判断するための「辞書」にすぎない

「人文学」と価値判断の関係については、今月も複数のエントリを出しているところであるが、この点についてはさらに、補足が必要であるように思われる。具体的には、「人文学者」以外の者が自身の価値判断を公に示そうとする場合において、「人文学」が果たし得る役割についてだ。

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日本のおじさんはカッコつけすぎ

 タイトルどおりの内容であるが、本稿は「日本のおじさん」を貶めることを目的とするものではなく、究極的には、むしろそのエンカレッジメントを図る趣旨のものである。したがって、「日本のおじさん」をさらに蔑む要素を発見することで溜飲を下げ、自身の権力を確認したいという動機から以下の文章を読まれると、身体が震えて涙が止まらず、ストレスのあまりついスイーツビュッフェでドカ食いしてしまい激ヘラ病み病み丸になってしまうという可能性も否定はできない。そうなっても筆者には責任が取れないので、その

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警戒をしているようで実はガバガバ

 昨日のエントリで信教の自由の話をたまたましたところ、先月話題となった以下の件を取り上げ忘れていたことを思い出した。  これも実に酷い話だったと私は思っているが、その「酷い」の内容は、ひょっとしたら多くの読者の方々が感じたそれとは、かなり異なっているかもしれない。

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可能性世界と霊能者

 今朝、奇妙な夢をみた。修道院に入る夢だった。現在、博士論文など、もろもろ抱えているものがあるけれど、「修道院、入っちゃったしなぁ」と夢の中の簡素な庭を眺めていた。いまとなっては懐かしい米国の神学校舎の裏庭に、よく似ていた。泊まる場所は十段ベッドのような、かなり変わったつくりだ。中空の塔内部の壁面にベッドと個人の机などが備えつけられており、移動は梯子を使う変な構造だった。  先輩修道士に「これなら着れるかな」と大きなサイズの服を選んでもらい、なんとか袖を通した。その服は信徒

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人権保障の後退を、むしろその進歩と捉える処置なしの方々

 最近は本当に、こういう基本的なところについて社会の「底が抜けて」きたなあと思う。

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かつての自分が「実はけっこう不自由な状態にあったのだ」と気づくこと

 ご存知の方はご存知のとおり、私は “ A Map of the Journey” を自分の知るかぎり世界最高の瞑想実践のテキスト(教科書)だと思っているのだが、これの邦題を『自由への旅』としたことは実に適切であったなあと、最近は改めて感じている。人間が自由になるための方法には色々あるが、瞑想はその中でもまさに「アルファでありオメガ」の地位を占めるべきものであると実感する機会が、このところますます増えているからだ。

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それは頭が悪いのか、それとも度胸が足りないのか

 昨日のエントリでは、価値判断というのは勉強や研究を累積した結果から直接的かつ一義的に導出されるものではない、という指摘をしたわけだが、もしそうであるとするならば、勉強や研究をすることは適切な価値判断を行うに際して何の役にも立たないことになるのか、という疑問を懐かれた方もいるかもしれない。そこで、今回はこの点について、私の立場からのコメントをしてみよう。

「人文学者」に適切な価値判断は期待できるか

「人文学」が再びそこはかとなく話題になっているのを観測したので、私の立場から、少し補足をしておきたくなった。

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ゾンビに「ゾンビをやめろ」といっても意味がない

 一昨日の夜は、延び延びになっていた今月初の Youtube&ツイキャスライブをようやく実施。Youtubeでの全体公開部分を含む前半は縁側で茶をすする老人のような穏当な話をしていたが、ツイキャスのみの「グローバル資本ご禁制雑談」のほうでは、この一ヶ月強のあいだ様々なニュース等に接することで、溜まりに溜まった公憤を爆発させてしまった。 (※録画視聴パスは、11月1日のエントリから取得できます。)

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加齢によって生じるのは「劣化」だけではない

 先日の Youtube&ツイキャス放送では「加齢による変化」についても語っていたのだが、そこで述べたこと以外にも何かあるかな、と考えていたところ、そういえばインターネット上の諍いのようなものを、できればそもそも視界にすら入れたくないというお気持ちが、最近は強まっているなと気がついた。

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そもそも「第一段階」が難しい

 のっけから胡乱な話で恐縮だが、たぶん私の話がややこしい(わかりにくい)のは、「瞑想的ヴィジョンの覚知を当然の前提としつつ、同時にそのヴィジョンに関する無反省な語り(態度)も批判する」という、第三者的に見ればおそらくは相当にアクロバティックなことをやっているせいだと思う。  別の述べ方をするならば、私がやりたいのは、「この世の外側の視点をもちつつ、この世のことも真剣に取り扱う」ということなのだ。

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