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2022年9月の記事一覧

真面目な蛙さんたちにいいたいこと

 9月もとうとう終わりである。今月は、初日のエントリで述べた「原理原則からはじめる当たり前の話」を、実際にずいぶんたくさん書くことになったなあと思う。

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遍路歴程:A Pilgrim's Progress

 20年前の旧交が戻ってきた。互いに大人になったから、なかなか時間が合わない。それゆえ旧友のため、ここにぼくの天路歴程を記す。たかが20年ぽっちの敬虔と研究の挫折、その痕跡。準備不足のまま厳冬期のエヴェレストに挑んで、そのまま氷漬けになった誰かのミイラが示す、デッドエンドへの道標。本記事タイトルが「遍路歴程」と名作との一文字違いな理由は、不朽の名作になぞらえるのは面映ゆいのと、日本人だから宗教的探求の名は、やっぱりお遍路かな…と思ったからだ。  以下、旧友以外にどんな需要が

堂々と明確に説明する責任者には、かえっていちゃもんがつけにくい

 このところ雑多なタスクに追われる日々が続いており、あらゆるスケジュールが押し気味となって、早寝早起きの習慣もすっかり崩壊してしまう仕儀となった。ゆえに当然ながらジョギングに出ることもできない結果、徐々に体調の悪化を感じているので、できればこの週末には色々とやっつけて、再び健康的な生活を取り戻したいと切望しているところである。

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国語力を鍛えるための意外な手段

「国語力」というのがそもそも曖昧である気もするので、ここでは自然言語処理能力、つまり、私たちにとっては日本語を、正確に読解(インプット)したり、あるいは明晰な文章表現にもたらす(アウトプット)能力のことをそういうのだと、仮に定義しておくことにする。

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瞑想が開くヴィジョンの射程は、「心の問題」だけに留まるのか

「社会を変えるより自分を変えろ、といった自己啓発セミナー的思考回路を内面化してしまっているがゆえに、日本の人たちは社会や政治の問題をストレートに問うことができなくなっている」といった話を見かけて、これはたしかにそのとおりかもしれないと思うなどした。

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「実体のある価値」という概念に実質はあるか

 昨日のエントリでは「“実体のない” 宗教的価値」について色々書いたが、私はもちろん「だから宗教的価値などというものはフェイクなのだ」といったことを、主張したかったわけではない。そもそも「実体のある価値」という(しばしば当たり前のように語られる)概念の明確性からして相当に怪しいものだ、というのが私の基本的な立場だからである。

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それは本当に「対岸の火事」なのか

「まあ、そうなるだろうなあ」という話であった。

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「当たり前」を考えるのは楽しいこと

 というわけで、9月です。先日は、ユダヤ・キリスト教の文脈で使われる「律法」という用語(訳語)が、既存の「法律」という日本語と区別するために、「律」と「法」の順序を入れ替えることで作られた、という話を専門家から聞いたりしまして、世の中にはまだまだ自分の知らない面白い小話がたくさんあるものだ、と思ったりしました。  こういう言葉の成り立ちに関する話を聞くのが私は昔からけっこう好きで、以前から当たり前に知っていた用語であっても、それを古人がどのように作ったり、あるいは選択したり