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2022年3月の記事一覧

「ために」をやめる

 私たちは人生の多くの時間を何かの「ために」生きていて、そうしなければ「この一回きりの人生が無駄になってしまう」と考えている。たとえば、来年の年収を増加させるために、半年後の試験に合格するために、いつかサンスクリットが読めるようになるために、いまのこの時間をどう使うかということを、常に真摯に計算しているわけだ。このように、「できれば現実化してほしい未来のために、現在の時間を投資する」ということは、私たちがこの世界で「上手くやってゆく」ことを考えれば、是非とも必要なことではあろ

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「頭を使いすぎてゆっくりになる」ことは、もちろん悪いことではない

 先日のツイキャスでは、「全体の構造がわからないまま、細部の具体的な作業法だけをアドホックな形で教えられても、それで上手くやれることは個人的には少ない」という話をしたのだが、これはもちろん「細部の具体的な作業法」について丁寧に学び、実際に「手を動かす」ことを軽視する趣旨の主張ではない。 (※録画視聴パスは、3月1日のエントリから取得できます。)  私がキャスで述べたことは、だいたい上掲のツイートの方がまとめてくれているとおりなのだが、これを見て「しかし細部の作業について実

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恋愛や瞑想について、「技術を意識的に突き詰めること」の功罪とは

 昨日のエントリで久しぶりに「暴力性」の話をしたので、ついでに下の件についても簡単に補足しておこう。

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「神経のいらだち」から熱量を調達する私たちのこと

 昨日のエントリでは、「(心理的な)ガードを下げる」という作文上の基本的な心構えについて述べたわけだが、長く文章を書く等の表現行為を続けていると、この事態を生じさせるためにどれほど工夫を重ねてみても、どうにもそれが起こらない、といった困難な時期に遭遇することがしばしばある。そして、そういうときに足りていないのは、たいてい心のカロリー(熱量)だ。

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ガードは「勝手に下がる」もの

 そういえば3月12日のツイキャスでは「泥酔」の話もしたのだが、そこで言及した「アルコールの作用で(心理的)ガードが下がる」という(しばしば起こる)事態は、文章を書く際の理想的なマインドに関する私の個人的な考え方を、ちょっと連想させるものがあるなあと思うなどした。

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「私そのものの価値」という無明

 昨日のエントリでは、GUCCIの話題から「世論」をコドモイナゴたちの羽音が埋め尽くす現状の不気味さと、その先に予想される将来の展望について述べたわけだが、今回は全く別の観点から、同じ騒動についてコメントしてみよう。まあこちらのほうがどちらかといえば、「ニー仏noteらしい」話になるかもしれない。  こういうトピックが問題となった際に一般にしばしば語られるのは、「そもそもブランド物を己自身の価値代表物のように捉えてしまい、それを所有していないことが本人の人格的価値まで毀損し

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それが一時の衝動にすぎないものではないのかどうか

 先日のエントリでは文章の推敲について書きながら、「しばらく時間を置いて自分のモードが変わるのを待つ」ことの有益な機能についても、改めて考えることになった。実際のところ、この心得は作文についてのみならず、人生における他の様々な場面でも役に立つライフハックそのものなのではないかと、個人的には思っている。

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「正しさ」の根底を、敢えて掘り返す営みの価値について

 昨日のエントリでは「合理」という用語に潜む罠について述べたわけだけれど、こういう話をまとめてしてみると、やはり(世の流れには逆らうが)人文知というものは重要だなあと、しみじみ感じられてくる。

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それ、なんのための “合理的” なんですか?

 私にとって「合理」というのはずいぶん注意を要する言葉で、「それは合理的じゃない」といった話がいきなり出てきたら、「なるほど、新しい論点を設定されるわけですね」という理解を基本的にはすることになる。だが、他方でどうも世の中の相当数の人たちは、一般に「合理的だ」とか「不合理だ」とかいった評価を示すことが議論の始点になるとは考えておらず、むしろそれらの言葉を使うことで、議論の終結を導けるのだと思いなしているようだ。 

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