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2021年12月の記事一覧

轟音。そして年末のご挨拶

バンドが終わる時というのは途轍もないエネルギーが発生するのかもしれない。それは超新星のようだと思う。 超新星とは、星の寿命が尽きて起こる大爆発のこと。 12/28のSUNNY CAR WASH解散ライブ。まさにそういう瞬間に立ち会ってきた。 こんなに爆音なのか、というのが最初の感想。今まで数多くのライブに行ってきたけれどここまで脳が揺らされるような轟音は初めてな気がする。 特にウネくんのドラムはandymori初期の後藤大樹を彷彿とさせた。 身体のコンディションが悪

「変な言い訳をしない」人生のこと

 もう、というべきか、ようやく、というべきか、とうとう2021年も終わりである。このところはなんだかんだと忙しくしていたせいもあって、日々がまさに「飛ぶように」過ぎてゆく感覚もあるのだが、同時に全てがゆっくりとしか動いていないように思われることもあり、あたかも覚めながら夢の中にあるような心持ちがすることもしばしばだ。ひょっとしたら、この「私」という感覚や知覚の束は、既に来世への準備をひそかに開始しているのかもしれない。  今年の本noteでは、「人間の理想的な生き方とは何か

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入門者や初心者には、優しくするのが大人です

 先日のツイキャスでは、定期的にツイッターを沸かせる風物詩的話題として有名な「掛け算順序問題」について、火中の栗を拾いつつコメントをするなどしていた。 (※録画視聴パスは、こちらのエントリから取得できます。)  その具体的な内容については前提や限定の多く付された話なのでもちろん録画をご参照いただきたいのだが、このトピックから派生して私が今日改めて考えたのは、「専門性」重視の功罪ということである。

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「この身心」に貸し手はいない

 前回、前々回と、「(身心の)健康に気をつけていけ」系の話を積極的にするエントリを出したわけだが、実際のところ私自身は健康がそれ自体として目的となると考えるタイプの人間ではない。もちろん健康であることは大切だし、そう思うからこそ健全な身心の維持の重要性や、その実現のための方法を語ったりもするわけだが、とはいえ健康というのはそれを確保した上で何かをするためのいわば「環境」の整備なのであって、それだけを自己目的化してしまっても仕方ないだろうと、常々考えてもいるわけである。

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「嫌々ながらやること」が、私を自由に近づける

 私はしばしばこんなふうに、「みんな好きなことをやったらいいよ」といったことを公に述べるのだが、とはいえそうすると、単に傾向性の衝動に引き回されているに過ぎない自身の生き方が肯定されているのだと思いなして、他責・他罰が習い性になっている人たちが喜んでしまうという現象も、毎回のように観察していた。そのたびに、「そういう話じゃないんだけどなあ……」と思ってはいたのだが、このあたりはまさに「もにょもにょ」した問題なので、SNS上でさらに深く説明することも難しかったから、それ以上のこ

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言葉が作る「意識の牢獄」と「換気口」

 先週のエントリで、言葉には「さらに言葉を呼ぶ」という性質があるという話をしたが、当該記事でも指摘したとおり言葉のこの性質はテクスト作成の際には多くポジティブに作用するものの、同時にそれが表現者に対してネガティブな結果をもたらすということもないわけではない。そこで、今回は「言葉が次の言葉を呼ぶ」ことの、悪い面について書いてみよう。

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なにしろ「書きはじめる」ことが大切だ

「案ずるより産むが易し」とか、「作りたいならまず着手しろ」とか、そういった教訓が語られることはよくあるが、文章についても同様のことはいえるのであって、「とりあえず書きはじめる」という方針が、一つのテクストを完成させるために有効に機能することは多いと思う。

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