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魔界の片隅に住んでいます

母になった日

息子を産む時、苦しむ私に助産師さんが言った
「お母さんなんだから!頑張って」
その言葉に無性に腹が立ち、握ってくれたその手を、怒りで強く握り返した事、今では申し訳なく思っている。数時間ほど前に会ったばかりの、他人である私の手を握ってくれたのだから、きっと応援のつもりで握ってくれたはずなのに。

「お母さんなんだから」は「お姉ちゃんなんだから」に似ている。
幼い頃からその言葉を何度言われ続けた事だろう。その言葉で何度自分を押し殺してきた事だろう。大人になってこそ言われなくなったが、今度は「お母さんなんだから」と言われるのか。うんざりだ。
息子の出産はとても長かった。私は陣痛と同時にストレスで胃痙攣を併発していたので陣痛と陣痛の合間の休憩などなく、水を飲んでも吐いてしまう状態だった。「これ、いつまで耐えればいいの!?」という不安と闘いながら次第に「大丈夫!」と思い込もうとする精神力は削がれていく。耐え難い時間だった。
そんな中で「お母さんなんだから!」と言われても、「お母さんなんだから頑張ろう」などと思えるはずがない。初めての子で、私にお母さんの経験などないのだから。初めてお腹に命が宿っただけでは本当の意味で「お母さん」と言えないのだと思う。お母さんの経験がないゆえに、自覚などなく、母性が目覚める前なのだから。

息子は無事に産まれた。
初めて息子にかけた言葉は「ごめんね」だった。私は産まれたばかりの息子に笑顔ではなく泣き顔を見せてしまった。
喚かず産んでいたらこんな気持ちにならなかったのに、全ては出産時の苦しみに耐えられなかった自分への嫌悪感だ。
弱音吐いてごめんね。お母さんなのにもうやだとか言ってごめんね。こんな気持ちが湧いてくるの分かってたらもう少し頑張ればよかったよ。私情けないな。
私から産まれたとは思えない程清らかで美しい我が子に比べたら、私の命などどうでもよかったな、と思える程だった。
ずっと傍について応援してくれていた夫は満面の笑顔で喜んでくれたが、
私は痛みにわめき散らした自分が情けなくて、無事に産んだ事に対して自分を責めるばかりだった。

息子を産んだその日から、眠りの浅い日々がスタートした。
授乳で起きなくてはならない。私の体はアップデートされ、我が子が「ふにゃ」とでも声を上げたら夜中でもすぐに目が覚めるセンサーが追加された。
出産当日からそんな事が待っているなんて、学校の家庭科でも、母親でさえも教えてくれなかった。誰か言ってくれたらよかったのに。
だけど、ただただ「可愛い、愛おしい」としか思わず頑張れた。その時やっと私は「お母さん」というものになれたのだろう。

母、妻、嫁、娘、社会人…

結婚して、母親になって、年を重ねる事に私のジョブは増えて行った。
子どもが生まれてからは夫の実家とも関わる事も多くなった。
その上、働いて収入を得ないとならない現実もある。私は産後1ヶ月で仕事復帰し、夫の単身赴任も経験しながら、3人の子育てに奮闘していた。
そして母、妻、嫁、娘、職場…それぞれの立場で高得点の存在になるのが難しくなった。RPGのようにジョブチェンジとかできたらいいのに、現実世界のジョブはチェンジじゃなくて増えていくのだ。

「そんなに生き急がなくていいのよ」
子育て真っ只中の私に、恩師が言ったその言葉が、何年経ってもなぜかいつも心に響く。生き急いでるつもりはないのだ。ただ必死に毎日を過ごしているだけなのだ。だけど「必死」の外側に居る恩師から見たら、私はさぞ余裕のない生活をしているのだろう。

人間の3大欲求は食欲、睡眠欲、性欲だそうだ。
美味しい物を食べ、よく眠り、愛する人と過ごす。これが幸せの条件3つなんだそうだ。幸せの条件にお金は入ってない。
ああそうか。欲求3つを満たすためにお金が必要なのだと思い込み、基本の3つを犠牲にしているのかもしれないな。なんとかせねばと思う。

しかし複数のジョブを抱えた我が身は、一見簡単そうに見えるその3つを満たす事ができない。

特に、身も心も余裕がない状況下での良い夫婦関係を築くというのは複雑かつ至難の業だ。夫婦のコミュニケーションを取る時間を確保するのには大変な努力と工夫がいる。
恋人同士の時ならばお互いの事を知りたくてたまらなかった。一緒にいる時間が限られているからこそ、「早くまた会いたいな」とも思うのだ。そして何より金、時間、体力、精神力…全てに余裕がある。
だが結婚後は、いつだってそばにいる。しかもお互いの事をある程度知り尽くしている。新しい情報は特にない(と思ってしまうのだろう)。興味のないその素振りを見せ、多少相手を雑に扱ったからとて、結婚している以上簡単にはいなくなられたりしないのだ。一昔前は結婚を「ゴールイン」などと表現していたものだが、夫婦間のコミュニケーションがおろそかになってしまうのは、もしかすると結婚した事で一つのミッションが終わったと認識してしまうせいなののかもしれない。

既にゲットした相手に対してもコミュニケーションを取ろうと努力をし続けるカップルこそが、何年経っても愛し合える理想の関係になれるのだろう。
だけど、あなたは私じゃないし、私はあなたじゃないから、価値観も違うしタイミングも合わない。片方が寄り添おうと思っても、もう片方は「今そんな気分じゃない」のだ。
そして面倒臭い事に、年齢を重ねる度にひとは頑固になっていく。抱き合えば心がほぐれて自然に言えたはずの「ごめんね」が、抱き合う事さえしなくなる。
相手は「寂しいな」と思ってくれているだろうか?そんな事すらも自信がなくなってくる。
そうやってお互いを知る努力をしなくなった末、
日々起きる色々な事を語り合うよりもスマホの画面を見ている方が楽しいと思ってしまう。

更に親になれば、身も心も我が子に捧げる比率が多くなる。そうして結婚相手のことは大抵後回しになってしまう。自分のこととなるともっと後回しだ。
体はひとつ、1日24時間。
誰に、どう使うか…

1、子ども
2、夫
3、自分

大抵の女性はこんな順位で日々を過ごしているのではないだろうか。毎日の食事も、家族の皿が優先で、自分の皿は残り物。
自分の人生なのに自分が一番後回しなんて悲しすぎるのに。そんなちょっとした棘を心に残したまま、自分を後回しにして過ごしていると、
子どもはともかく、夫に対して「こんなにあなたの事優先して頑張ってるんだから!」と見返りが欲しくなる。私にも優しくしてよ!って思う。
「無償の愛」ってのは我が子にしか与えられないんだなってつくづく思う。
私は自分が魔物化していくような気分になった。

夫婦間だけでも課題が山積みなのに、我が家は実家の干渉が強かった。

合わない姑

姑は初対面から、マルチ商法の勧誘をしてきた人だった。一時期流行った「私が幸せならみんな幸せ」という思想に影響されていて、
田舎という土地柄にも、年齢にも不釣り合いな、派手な装いとテンションの高さに私はついていけず、夫との交際すらも不安になる程だった。自分最優先で自分さえよければいい…そんな風に見えた。
「合わないな」と思いつつも、結婚まで至ったのは夫の誠実さ故である。

結婚後も、姑の行動や言動には違和感を感じたが、失望したり腹が立つ事もあったが、それを表に出すことはせず、逆らう事なく無理に合わせて過ごしてきた。それができたのは夫が常に私の味方でいてくれたから。夫がいつも間に入ってまろやかに解決してくれたからこそ、姑に対する気持ちには蓋をして過ごしていた。湧いてきた負の感情は「私の受け取り方が悪いのかもしれない」と自分が悪い事にして押し込める事さえあった。

だけど無数に転がった不快感と違和感は、消える事なくそこに溜まっていたのだ。

ある日、些細な事がきっかけで姑と関係を断つ事になった。
子育てについての意見の相違だった。姑は自分の意見が通らず、嫁の私が屈服しない事に腹を立てた。
私が謝罪して関係を修復すれば解決したのだろうけれど、今まで心に沈めた違和感が泡のように海底から浮き上がってきて弾けて、それをしようとは思わなかった。

姑にしてみれば青天の霹靂だっただろう。
素直な嫁を演じてきた私の長年の葛藤など姑は知る由もない。全て思い通りに上手く言っていたのに従順な嫁が、ある日突然牙をむいたと思ったのではないかな。

夫婦間と同じく、嫁姑もコミュニケーション不足はよくない。いや家族のみならず、全ての関係においてコミュニケーション不足はよくない。
本音を言えない関係は片一方が無理をしている状態なのだ。破綻か恨みの爆弾を抱えていくようなものだ。

人間関係は線引きが大事だな、と歳を重ねてつくづく思う。
無理をしてはいけないのだなと思う。
早めにNOと言えれば、きちんと不快を示せば、相手も匙加減を考えるきっかけとなる。しかしNOが言えないでいると相手はどんどん自分のテリトリーに踏み込んでくるのだ。
「犬と同じです」とある友人は対人関係について言い放った。ちょっとあげるとどんどん欲しがる。ダメ!と言わないと「もっとくれもっとくれ」と際限なく要求してくる。(ちなみに友人は私同様、大の愛犬家である)

コミニュケーション不足、NOと言えない私。
ああそうやってこれまでいくつかの別れを経験したな、と振り返った。

毒親

嫁ぎ先と上手くいかなかったとしても、自分の実家が拠り所だったらよかったのかもしれない。
だけど私の場合は、実家とも関係を絶っている。

育ててもらったのに「毒親」と呼ぶのは忍びないが、私の子ども時代は母親からの抑圧で自由がなかった。
思い返しても、母親との幸福な思い出は残念ながら一つもない。

若くして嫁に入った母は、姑とうまく行かず、いつも私達子どもの前で泣きながら姑の愚痴を言っていた。何度も何度も同じ話をして泣いていた。子どもだった私はその時間が苦痛で叫びたい程苦しかったが、耐えて聞いてあげるしかなかった。

子どもは皆お母さんが大好きである。
お母さんを助けなければ。お母さんを少しでも元気にしてあげたい。泣かせたくない。
その一心で、愚痴を聞くのは勿論、祖母と敵対したり、母の喜ぶ事をするように努めた。

私はなんでもこなす器用な子だったので、成績も良かったし、きょうだいの面倒や家業の手伝いもこなした。最初は母の喜ぶ顔が見たくて頑張っていた事が、やがて「できて当たり前」になっていった。
そんな私に母は期待した。自慢の娘だったのであろう。束縛と期待は徐々に強くなり、習い事、服装、部活動、進路…全て母親の指示通りに動く以外を許されなくなった。自分の意見を言うと激怒されたので私はNOと言わないように努めた。

「あなたはお母さんの分身だから。だからお母さんができなかった事を全部やらせるの。」

ああ、私は私じゃないんだ。お母さんの人形なんだ。私は絶望して言葉を失い、母に人生を捧げる事を決意したのは中学生である。
母は私を喜ばせる為に言った言葉なのかもしれないが。

母は、幸福の器に穴が空いているような人のだと思う。
穴が空いてるが故に、器には常に人並みの幸福量もない。
だから幸せをいつも渇望しているが、自分で満たす事もできず、いくら与えてもらっても足りず、満足しない。
子どもがどんなに頑張っても「足りない」と感じるので、誉める事もなく、もうオジサンオバサンの年齢に差し掛かる私達きょうだいを「失敗作」と言い放った事を、本人はとうに忘れているのだろう。(歳を重ねるごとに母の記憶は事実とは異なる、母の都合の良いように書き換えられてきている。歳を取るというのは恐ろしい事だな、と思う。)

話は戻るが、私は結婚を期に母の呪縛から逃れた。母もあっさりと私に興味がなくなった。
今更「興味がない」と放り出されても、人生取り返しのつかない事も多い。
だが母の呪縛から離れた事で、私は少しずつ何年も何年もかけて今自分を取り戻している所である。
呪縛から離れて実家を俯瞰すると、改めて滑稽に見える。母の性格は熟知しているので、滑稽な人達とはあまり関わらずに生活していたが、
ある日、私は我が子の事で、生まれて初めて母に抗った。結果母は激怒して疎遠になった。
「子どものくせに!」と母は激怒していた。「子ども」とは孫のことではなく私のことである。子どもの立場のくせに親に楯突くなど許せないのだそうだ。

こうして私は、夫の実家とも自分の実家とも縁を切られたわけである。

田舎暮らしの生きにくさ

私は地方に住んでいる。小さな町だ。
場所にもよるが、地方というのは長くそこに住めば住むほど、近所との関係が濃厚になる。
夫の実家は多分明治時代のあたりからその場所に住んでいる為、近所は知り合いだらけだった。その関係はなんだか親戚のようだった。行事、祝い事、正月…その度にお互いの家を行き来をして金品を交換したりする。

夫の実家の敷地内に別棟を建てて住んでいる私は、当然、ご近所に囲まれている。
実家と疎遠になってからご近所の人たちがそそくさと私達を避けるように歩き去るようになった。お年玉ももらわなくなったし、話しかけられなくなった。何か情報が伝わっているのだろう。

ご近所の監視と干渉が少し煩わしいな…と正直思っていた私には好都合ではあったが、なんだか住みずらい。

更に、私の方の親戚からもパタリと一切のコミュニケーションがなくなった。母親が私に激怒してから、親戚達も私に関わらないようにしようと決めたのだろう。

魔物だらけだな、と思った。

しかし両家の両親と疎遠になり、よかったと思う事がいくつかある。
まずは私も夫も本当の意味で自立したという事だ。
実家と縁を切るという事は、向き合う相手はこの家族しかいないという事だ。「妻が(夫が)分かってくれなくても実家が分かってくれる」という考えから、実家に逃げる事がなくなるのだ。居場所はここしかないのだから、きちんと向き合わなければいけない。

それまで夫は、毎日のように実家に通っていたし、なんなら私に隠れて実家でリラックスしていた。同居はしていないものの、敷地内に住んでいるので、実家も夫を常に頼り、「跡取り」として家の管理もさせていた。
実家と夫は共依存状態だった。そのせいで過去に夫婦の溝ができた事だってある。本来妻である私と向き合うべき事を、向き合わずに実家に逃げる事で回避するのだから。

次に、憂鬱だった正月が、毎年心からの楽しみになった。
正月と言えば、夫の実家に大晦日から数日間を束縛され、口に合わない料理をご馳走になり、早く家に帰りたいとぐずる子ども達をなだめ、気を遣いながらリラックスできない空間に束縛され、見たくもないテレビの前で時間を潰し、「長男夫婦がここにいる」という見栄の為だけに来客のお茶出しを一日中させられるという地獄のような数日だった。
それが今は、本当に自分だけの休みなのである。最高だ。
「〇〇せねばならない」という束縛は一切なく、家族で好きに時間を過ごし、好きなものを食べ、思う存分ダラダラと過ごす、夢のような休日なのだ。それだけで一年頑張れる程楽しみなイベントになった。

どんな時も我が子の味方

孤立無縁なので、とにかく私はこの家族こそが心の拠り所だ。
夫と子供達が私の大切な家族。
家族の事には全力で向き合い、困難には共に悩み乗り越え守るのだ。

しかし両家両親達と疎遠になったから
私の「家族を守る」精神が芽生えたのではない。

前述した通り、疎遠になった私の母はかつて私を自分の「分身だ」と言っていた。分身なので守る必要はなかったんだと思う。
まだピュアな高校生だった頃、先生と呼ばれる男からかなり重度のセクハラを受けた時さえも助けてくれず「自分で解決しなさい」と言われた事は忘れられない。辛かった。
私の母は反面教師だ。
ああいう風にはなるまいと誓っていた。そして息子が生まれると同時に、この子を守るという強い気持ちが私の中に生まれた。後から生まれた娘達にも同じ思いがある。

子ども達はすくすく成長して、幼稚園に入り、小学生になり、中学生になり、高校生になり…。その度に友達やら先生やら色々なトラブルがあったが、私は常に我が子の言う言葉を信じて、子ども達の前に立ちはだかる壁に一緒に挑んできた。時には学校の先生と対峙した事もある。

どんな時も子どもの味方でいる。

そう思って子育てしてきたけれど、ある日ふと、娘達の言動が気になった。
「私やってないもん!」
「嘘!やったでしょ!なんで嘘つくの!」
私に何もしていないと訴える次女の嘘を、長女が見破り責めていた。次女の演技は迫真で、本当に何も悪事をしていないのにどうして責めるの?!という勢いがあった。
私はハッとした。
今まで何年も子育てしてきて、子どもの話を疑った事はなかった。信じて味方になる事こそが私の正義だと思っていたからだ。
だけど、もしかしたら、子供って自分の都合の良いように嘘つく事もあるの?
だとしたら、私が信じて問題視して行動した事で、周りに迷惑かけた事もあったかもしれない…。信じた為に私が感情的になって他を攻撃した事もあったかもしれない…。
そんな思いがさっと頭をよぎったが
深く考えると落ち込み過ぎて自分が傷つきそうで、思考停止した。

ある日のモンスターペアレント

神様がいるなら、神様が「気付きなさい」って教えてくれた試練だったのかもしれない。

私はある日、いつものように仕事をしていると、とんでもないトラブルに巻き込まれた。

私は主に子どもを相手にする接客業をしている。
その日も小さなお客様は私といつも通りに時を過ごし、普通に帰って行った。だけど帰宅後にその子は母親の前で泣いたのだそうだ。その晩電話が鳴り、母親はいきなり私に牙をむいた。子どもを泣かせた罪である。
私は訳も分からず、母親の話を聞いても正直自分の何が悪かったのかもよくわからないまま、だけど、泣かせてしまった事に対して謝罪した。母親は怒りで盲目になっていたのだろう、私や他のお客さんの迷惑も考えず、自分達の要求を通せと主張してきた。私は再度謝罪し、母親の言う通りにしたのだが、母親の怒りはおさまらず、その家庭はその後1ヶ月私に失礼な仕打ちを続けた後、何も言わずに去っていった。

その母親は、それまで好意的な人だっただけに、私は大変ショックを受けた。仕事に関しては常に誠心誠意向き合ってきた。自分が不利益を被ろうと頑張ってきた。なのになぜこんなに怒りを買い、非難されるのか分からなかった。
相手を思い遣り、過剰なほどのサービスをして、真心こめて仕事する事が、心底ばからしくなった。

ふと思った。
もしかしたら子どもが嘘をついて、自分の都合が良くなるように、私を悪人のように仕立てて母親に訴えたのかもしれないな。
その母親は、私と同じ想いで子どもを信じ、子どもの味方でいる揺るぎない思想があって、子供の話を疑う事なく受け止めた結果なんじゃないかな?

そう思った瞬間、もしかしたら自分も、
この目の前に現れた「とんでもない人」と同じ事を誰かにしてきたのかもしれない…という気付きを授かった。
そして我が子を盲信するその母親を、少しだけ許せるような気持ちになった。

ここは魔界。私も魔物?

神様の気付きを授かった私は、少しだけ人に優しくなれた気がする。
いつだって誰であろうと、トラブルは片一方の話だけ聞いて熱くなってはいけないのだ。

「この子の言ってる事は本当?」

ピュアな子どもを疑うのは一見、立派な大人のする事ではないように思えるが、子どもだって社会の色々に晒されながら、良い事と悪い事を経験しながら大人になっていくのだ。嘘もあるのかもしれない、それは成長の過程なのだから。

そして、盲信する事の恐ろしさを知った。
片一方の話を盲信するあまり、人は魔物に変わる。自分自身を守りたい時も魔物に変わる。
そしてコミュニケーション不足が魔物像をよりおぞましい者にしてしまう。

今まで沢山の魔物と対峙してきたけれど、
「もしかしたら相手は魔物ではなかったのかもしれない、私が魔物化していたのかもしれない」
先日ふとそう振り返って、子どもの事で何度も嫌な気持ちになった学校に行ってみると、学校の景色が随分違って見えた。

もうなにがなんだか分からない。
ものすごく住みづらく生きにくい環境で、困難ばかり。
だけど見上げた空は美しい青空で、真夏の熱く力強い風が私の体に触れて通り過ぎていった。
この世界は意外と優しい所なのかもしれない。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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