ライターはつらいよ
今週、2本の記事がSNSで大きく取り上げられた。
一つは海賊版の二次創作を巡るインタビュー記事。もう一つが著作権侵害をしている方を称賛したインタビュー記事である。
後者については既に記事が取り下げられているため、魚拓などでしか確認することができないが、まぁNGだろう。僕は事前に目を通していたが、あれは指摘されて然るべきだと僕も思う。
前者については、編集長からの弁明が追記されていた。守るものは守らなければならない。編集長として最善の策だと考え、追記したに違いない。
まぁ、物議を呼んだ後の後処理の話はこれくらいにして、本題に入りたい。
ライターはつらいよ。今日のテーマはこれである。
僕はライターを名乗ったことがない
僕は独立以降、一度も自分のことをライターだと名乗ったことはない。名刺にも書いたことはない。
「ライターの川野さんです」とクライアントにご紹介されても「執筆を担当します、川野です」と自己紹介していた。
あくまでも職業は?と聞かれれば編集者だと名乗り続けていた。例え、編集ではなく執筆のお仕事が9割を超えていたとしても、だ。
ライターと名乗らない理由
僕が思うライターさんとは「圧倒的な文章力で僕の企画を形(活字)にしてくれる人」である。
コンテンツの企画は編集者。文章にするのがライターさん、美しい写真で彩るのがカメラマンさん。※広告案件の場合は、クライアントをセクシーに調整してくれるビジネスの方やスケジュール管理などをしてくれる方もサポートにつく。
ライターさんとは近いところで仕事をするし、オーバーラップするケースもあるけれど、自分とは違う職業だと思っている。
それに、文章一本で食ってく覚悟をしたライターさんと宣伝、編集、企画、執筆など色々なことき手を出している僕が同じ肩書きを名乗るのもおかしな話ではないだろうか。僕にはないスキルを持った活字の猛者。これが僕の思うライターさんなので、同じフィールドにいると烏滸がましくて名乗ることすらできないのだ。
責任の所在とWeb編集者
と、ここまで書いたがWebライターさんの界隈になると急に温度感が変わってくる。企画、質問作成、取材、写真撮影などを全て1人で担当するケースがほぼだろう。
突然、編集者はついているのだが、ほぼ何もしないケースも珍しくない。アウトプットの段階になって指摘する程度。ただ、これには理由がある。
編集を教わることなく、WebライターがWeb編集者になってしまったためだ。本来であれば、執筆作業に入る前に打ち合わせ、記事の流れまでを共有するのが本来編集者の仕事である。
ただ、圧倒的な本数や他の仕事に追われる中で、そうした点までカバーするのは現実的ではない。
その歪みが責任の所在を曖昧にし、編集者ではなく、ライターさんが叩かれることが増えてきた。
本来、指摘されるのは媒体と編集担当、編集長であるにも関わらず、だ。
ハイリスクローリターン
副業や復業で文章を書いている方にはちょっと伝わらないかもしれない。フリーの書き手は仕事を断ることができないのだ。
明確に名前が売れている。あるいは企業との強い信頼がない限り、お仕事を断る選択肢がそもそもない。
やりたくない。と仕事を選んでいたら仕事がなくなる。仕事がなければお金がなくなる。
よほど気乗りしない案件であれば、拒否するが次へのステップと考えれば受けざる負えない仕事もある。
そんな文章を書いている時の気持ちが分かるだろうか。筆の進みが悪く、金のために魂を削っている。そんな寂しい気持ちを押し殺してモノを作っている人たちがいるのである。
そして、何か問題が起こった場合、編集者よりも書き手へ火の粉が降りかかる。そんな光景を何度も見てきた。
以前も書いたが、よほどの覚悟と圧倒的な引き合いがない限りフリーランスになるものではない。
僕は1人で仕事していた時代についてこう思っている。ハイリスク・ローリターン、と。
この期間で気付いたことは、楽しい仕事はいつだってチームで生まれるものだということ。何かモヤモヤしてるのであれば、どこかのチームに居場所を作って欲しい。
それくらい書き手のお仕事はつらいのだ。
「今日も涙の 日が落ちる 日が落ちる」
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