定住の生産様式の変化(狩猟採集→農耕・牧畜)が、子どもの遊び→内発意欲→能力の低下に影響。
引用の著書は、(狩猟採集から農業に絞っているが牧畜も含めて)「定住の生産様式」への変化が、「自然の一部(自然との一体視)」の喪失と「管理する」意識に繋がり、それが子育ての変化→子どもの遊びに影響した、という内容は、
※「農耕・牧畜によって現生人類の脳容量が縮小したと符合する。
現代は、そのことに加え、生産と生殖・消費の場が分離し、生産と教育も分離し(教育を学校や塾・習い事に外注)、自然とも分離した「都市の定住生活」によって、さらに子育て→子供の遊び(→意欲→能力)に深刻な影響を与えている。
>学校での強制的な「管理」教育の増大、子どもの「遊び」機会の低下とともに、学生が社会に出てから役に立たなくなっている。>
「遊びが学びに欠かせないわけ(ピーター・グレイ著)」より引用
農業が定着すると、それは私たちの生き方を加速度的に早める変革の幕開けとなったのです。そして、その変化は、子どもたちの育て方に関する考え方も大きく変えることになりました。<中略>
農業は、人間の暮らしの条件を根本的に変えることで、遊ぶことではなく、骨を折って働くことがもっとも大事にされるのです。<中略>
文化人類学者は、狩猟採集民は我々のように仕事と遊びを分けることはないと報告しています。彼らは、狩りと採集を遊びながらして育ち、徐々に本物に移行しますが、その際も「遊び心」は失いません。彼らには、骨を折って働くという仕事の捉え方は存在しないのです。<中略>
農業は、放浪の民として暮らすのではなく、自分たちが育てている作物の近くに定住することを可能にしました(というよりも、強制しました)。しかしながら、この変化はより長い時間を労働に費やさなければならないというコストを伴っていたのです。
狩猟採集民は自然が育ててくれたものを巧みに収穫したのに対して、農民は耕して、植えて、栽培したり、家畜の世話をしたりなどしなければならなくなりました。農業で成功するには、長時間の比較的熟練の要しない、繰り返しの作業が要求されるのです。<中略>
子どもたちの生活は徐々に、自分自身の興味関心を自由に追求することから、家族の手助けとなる仕事をする時間に移行しました。<中略>
狩猟採集民は、得られる獲物や食べられる植物を探して動き続けていたので、土地や自分たちが持てるもの以外の有形財を持つことにはまったく経済的価値がありませんでした。それとは対照的に、農民の家族は自分の土地の権利を主張し、守らなければなりません。わざわざ耕したり、植えたり、栽培したりしたのですから、そこに他の誰かがやって来て、収穫させるわけにはいきません。また、定住性の暮らしによって、食料を貯蔵したり、他の有形財を貯めたりすることもできました。<中略>
狩猟採集民は自分たちを自然の中の一部と捉えていました。彼らは自然にそむくのではなく、自然と共に生きていました。彼らは自然の脅威を避けられないものとして受け入れ、そしてそれにできるだけうまく適応しました。
それに対して農業は、継続的に自然をコントロールする営みです。それは、植物と動物を管理し、飼いならすことを意味します。<中略>
農業と一体となって、人間はこの自然を管理するという考えを、子どもを含めた、他の自然界の法則にまで広めていったのです。
子育てと教育に関する私たち自身の考えは、農業を基調にしています。「育児」という言葉を、ニワトリやトマトを育てるのと同じように使います。また、「子どもの指導」という言葉を、馬の調教と同じように使います。
子育てに関する私たちの話し方や考え方は、栽培植物や家畜を私たちが保有するのと同じように、子どもたちを私たちが保有していることを示唆しています。
そして、どのように子どもを育てるのかや、子どもがどのように行動するのかも管理できると思っています。馬に私たちがしてほしいさせやすいように調教するのと同じように、子どもたちの将来の成功に必要だと私たちが考えることを子どもたちに指導します。
指導は、指導されるものの意思を抑え込む必要があります。そして指導には、狩猟採集民にとっては異質だった、「しつける」という考え方が必要です。