同人誌を作りたい?
最近、同人誌とか小説雑誌のようなものを作りたい、という思いに駆られている。同人誌といっても、いわゆる二次創作の「薄い本」ではなく、一次創作の雑誌だ。杉下右京が学生時代、推理小説を掲載したという、アレだ。
僕がこんなことを思うようになったのは、やはり、梶井基次郎の「檸檬」を読んだからだろう。
1925年1月、梶井基次郎と仲間の6人は、小説「檸檬」を載せた同人誌「青空」の創刊号を発表。1927年6月に廃刊となるまで、全28号が発行された。
彼が小説などを書いていたのは、実質7年ほどで、その殆どが同人としての活動である。1931年に亡くなる少し前から評価されつつはあったが、本格的に認められたのは彼の死後だった。もし、早くに亡くならなければ、その後の激動の日本をどう見ていたのか、と気になるところだ。
「檸檬」本編や、他の方による解説を読んでいると、全く勝手なことだが、何人かで集まって、同人誌を作る風景が思い浮かぶ。短編の小説や詩、俳句や短歌など、様々な形の作品を持ち寄り、編集して掲載する。雑誌の表紙やタイトルは自分たちで決める。大変なことは諸々あるが、文学の秘密基地が出来上がる。
そういうわけで、僕は、「同人誌」を作ってみたいのだ。このご時世、デジタルという形で作ってみるのも興味深い。PDFにして、インターネットで公開すれば、誰でも読めるだろう。
しかしながら、今の僕には、同じような欲求を持った仲間が居ない。オンラインでも、オフラインでも内気なゆえに、趣味友達づくりに苦労しているのだ。同人誌を作ろうと思えば、まずそこから始めなくちゃいけない。(一人で作ることも可能だが、「雑誌」と言うかたちにはならないだろう)
気が進まないな…とうじうじしている間にも、想像はますます膨らむ。タイトルはこれで、表紙はこんな感じ、キャッチコピーを載せるのも良いだろう。誌面には何を載せようか、こんな企画をしてみたい…
それらの想像、もとい妄想は、表に出てくることもなく、頭の中で行き場を失う。実現する見込みもないまま、河原の岩として残る。
これを読んでいる人から、「とっととやれよ」というツッコミが飛んできそうだ。「13月の金曜日」は、やりたいことばかりが募っても、日々の雑事の中に、埋めてしまう、そんな内気なやつの文章である。