【オリジナル短編小説】運命の子供達
「なぁ、トオル、夢ってあるか?」
不潔な船の船底で、久留宮透は目を凝らした。
すぐ横には自分と同じ境遇の須賀邦彦がいた。彼は話好きで、男達に連れられた当初から怯えることもなく透に声をかけている。
「夢?そんなのないよ。こんな状況で夢も何もないだろ?」
邦彦は肩をすぼめると、少し声を低くして言った。
「こんな状況なら尚更、大事かもしれないだろ?」
こんな状況、というのは僕らを運ぶこの船のことか、それとも見知らぬ土地で課される「役割」のことなのかは定かではなかった。
数日前、僕らは親に売られた。
所謂、借金のカタに…という奴なのか、はたまた単に金が欲しかったのかは知る由もない。
ただ一つ言えることは、僕はもう「金」という概念でしか見られなくなった。そんな無責任な親に売られた。ただそれだけだった。
そんな僕らに夢も何ももうないのだ。希望を抱く心根すら刈り取られてしまったのだから。
「邦彦、そう言うからにはお前には夢があるんだな?」
邦彦ははっとした。
「夢?あるさ!」
「じゃあその夢って何?」
邦彦は戸惑っている。
「え…っと…。悪い。忘れた。」
僕は心の中で邦彦を笑った。そして同時に哀れみを持った。
こいつは気付いていない。
この船に乗った時点で、こいつも無意識に諦めたのだ。何もかもを。この先の役割を想像し、それに準ずるつもりでいるのだ。
「邦彦、この船から降りたらどうなると思う?」
邦彦は項垂れている。さっきまでの陽気な彼はもういない。
「どうって…。知らないよ。」
僕はそっと微笑んで言った。
「わからないのか?単純なことさ。僕らはこのまま海に沈んでくんだよ。」
邦彦の顔に生気が戻る。
「そういうことかよ…。」
「間違ってないと思うけどね。」
そう言いながら僕は、いや俺は邦彦から視線を反らした。
俺は不思議と歓喜していた。
いや、不思議ではない。
やっとあの家族の役割から解放されたのだ。あの頃は妹の舞を守りながら、殴られて搾取されるのが俺の役割だった。それに準じていた。考えることをやめていた。
だが、そんなしがらみはもうなくなった。
「なぁ、邦彦。お前、ここから出て働かされるのと、海に沈むのとどっちがいい?」
「どっちも嫌だな。」
俺は邦彦の目をしっかりと見据えた。
「どちらかと言えば、どっちだ?」
邦彦は俺の顔を見て何かを察したらしい。直ぐに今までに見たことのない笑みを浮かべた。
船底の天井からは隙間風が漏れていた。その直ぐ上にはこの船の子らが眠っている。
今夜はとても気持ちの良い夜だった。
俺達は皆新たな共同体になった。
その夜、一艘の貨物船が沈んだ。
その先へ、小さな海の群れが新たな運命へと漕ぎ出していった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?