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イヤイヤ期が軽いと言われて、その理由を考えてみた

我が家の長男は現在3歳0ヶ月。
絶賛「イヤイヤ期」を謳歌中である。

「魔の2歳」と言うのはよく耳にしていたので、2歳の誕生日を迎えた日から日々ドキドキしながら育児をしてきた。
いつ来るのか…何でもかんでもイヤといって叫び出すアレが…地面に寝っ転がってジタバタされるアレが…

だが、しっかり身構えていたにも関わらず、イヤイヤの兆候はあまりみられず、結果「あれ?これイヤイヤ期なの?」と私が自覚したのは、彼が2歳半になったくらいからであった。
ちょっとたまには地面で転がってみない?と提案したくなるほど、そんな行為は見せようとしない。

今は間違いなく「イヤイヤ期」だなと認識はしているが、実は長男のそれは私の想像のレベルの1/3くらいのものであった。
男女問わず同じ年代の子たちと比べてみても、遥かに軽い気がする。
(いやもしかしたら、これから本番なのかもしれないけれど(笑))

最近、このイヤイヤ期について考えさせられる機会があったので、今日はそれを書いてみようと思う。

イヤイヤ期ってどんな状態?

まず長男の性格だが、決して大人しいわけでも控えめなわけでもない。
今は大分自制できるが、少し前まではお店に行ってもじっとできず走り回ってしまうようなタイプだった。

何かに集中できる子や、大人しいタイプの子が羨ましいと思ったことすらある。

イヤイヤ期について書かれた本を読んだところ、一言でイヤイヤ期と言っても、その表現の仕方は子により様々だということを知った。

・この服じゃなきゃイヤ!などこだわりがあるタイプ
・何でも自分でやりたい!タイプ
・何でもかんでもすることなすことイヤ!なタイプ

などなど。
実は私が想像していた「イヤイヤ期」は、この「何でもかんでもイヤ!」と言う状態であり、結果長男の場合はそれが訪れなかったので、ん?これイヤイヤ期なの?と長らく判断がつかなかったのだ。

そして、今になっても心のどこかで思うのである。
「何でもかんでもイヤ」以外の状態って、本当にイヤイヤ期なのかな…?と。

だって、理由が明確だもん。それを解決してあげるだけじゃない?と。

どんなときに「イヤイヤ」するか

長男の場合、イヤイヤ!をする時は明確な理由がある。
例えば「これはこの場所におきたい」などのこだわりや、お皿に「自分でいれたい!」という主張、「お外に行きたい!」や「保育園に行く途中に公園で遊びたい!」という要望などなど。「服を着たくない!」みたいなこともしょっちゅうある。
中でも1番強く泣いたり暴れたりするのは、自分の興味関心が湧いたものに対して、その知的好奇心を抑制されたときである。

以前のエントリで書いたが、彼は野菜とフルーツ大好き少年だ。そんな彼が先日散歩に出かけているときに、近所の家の庭に枇杷がなっていることを発見した。

「ママ!!!!!びわ!!!!とりたい!!!」

目をキラキラさせて、大興奮。
私もその願いを叶えてあげたいが、さすがに人様の家に勝手に入って実をむしるわけにはいかない。

何とか説明して納得してもらったが、結果道路で大号泣。夜勤明けで寝ていた夫が起きてくるくらいの泣き声で喚いていた。

珍しく5分以上泣いたので、どうしようかと頭を悩ませたが、この時は
「そうだよね。枇杷初めて見つけたもんね。取ってみたいよね。ママも取ってみたいよ。でも、これは人のお家のだから勝手に取れないんだよ。長男くんも、ママと一緒に育ててるお庭のお野菜誰かが勝手に取っていったらイヤでしょ?」
と説明すると、何とか納得して泣き止んでくれた。

で、これをイヤイヤ期と見るか?という論点なのだが、人に説明する時は面倒なので「イヤイヤ期でー」と言ってしまうが、実は私はそうは思っていない。

え、だって当たり前じゃん。
そりゃ取りたいよ。
ビワなんてレアだし、見つけたら取って食べたいよ。
当たり前の主張だよ。

と思うのである。
イヤイヤはしているのだが、しごく当たり前の理由でゴネているのだから、そりゃあ納得いかないだろうし、親を言葉で論破できないんだから、泣いたり喚いたりしたくなっちゃうよねぇと。

「これはこの場所に置きたい」も、彼のプランデザインがあって動いているのを勝手に変えられたらそれは腹立つだろうし、楽しそうな公園を見つけたら、遊びたい!」と思うのは子どもならば当たり前のことだ。

服を着たくない!だって、親の都合で着ろと一方的に言っているだけなので、彼の主張は何ら間違っていない。
お腹いっぱいなのに、無理やり口に食パン突っ込まれて、いいから食べろ!とか言われたら私だって暴れ出す。

長男が「何でもかんでもイヤ」にならない理由

ということで、理解ができるが故に、私は出来る限り子どもに「やりたいようにやらせる」ようにしている。
「自分でお皿にいれたい!ママやらないで!」と言われて渡すと全部こぼして床がビショビショなんてことは日常茶飯事だが、まぁよしとしている。
(私の機嫌が悪いときは顔が引きつっているけど)

ダメだというのは「危険なとき」「社会的に許されない・誰かを傷つけること」「どうしても親の都合を優先させねばならぬとき」の3つだけだ。

3点目に関しては心から申し訳ないなと思うので、謝るようにしている。
ただ、1番自分の余裕が無いときでもあるので頭ごなしに叱ってしまうこともある。
まだまだ器が小さいなぁと反省している。

急いでるのに!!頼むよマジで!!今そんなことやってる時間はないんだよぉぉぉ!!
これが本音だ。
育児のあるあるである。

例えば仕事に行くから急がなくては!などという時は、泣いても喚いても力づくで強制連行するようなこともある。(本当ごめん)

だが、それ以外は例えば彼の都合に付き合っていたら、昼食の時間が遅くなる…とか、多少のスケジュールのズレなどは許容する。

保育園にどうしても洗濯ネットを持っていきたい!と言ったときには持っていかせたし、
オムツの上にパンツ(下着)を履きたいと言われたときには履いて出掛けたし、
公園の手洗い場の水を被りたいと言われたとき(というか毎回)は、どうぞお好きにと全身ずぶ濡れになるまで遊ばせた。

たしかに親としては面倒臭いことも多い。
だけど、誰にも迷惑は掛けていないし、
「それは恥ずかしいからやめて」とか「汚れ物が増えるからやめて」というのは、完全な親側の都合なのである。

特に前者に関しては、私は子どもがそれでいいというならば、とことんやらせるつもりだ。
めちゃくちゃダサい格好で登園したいとか、顔に絵の具を塗って登園したいとか言われても「ok!いいよ!」と即答するだろう。
本人がやりたいならやればいい。

と、こんなふうに「お好きにどうぞ」を基本のスタイルとしているのだが、最近保育士をしている友人から「いつもそうしてるから、イヤイヤが激しくならないんですよ」と言われ、目から鱗が落ちた。

たしかに、大体好きにさせているので、どうしても親の都合を優先しなければいけない時も、長男は割ということを聞いてくれる。
「お願い、ママ困ってる!助けてー!」とヘルプを出すと「わかった!手伝うね!」と非常に頼もしい。

もちろん性格もあるので例外はあるだろうが、結局親としてもどうしようもならない「何もかもがイヤ!」な状態というのは、普段の心がけで防げるのではと思う。

子どもは賢い。
自分がやりたいことを、ことごとく「ダメ!」「やめなさい!」と言われていたら、きっとこう思うのだと思う。

「どうせ何を言ってもダメって言われる!もうヤダ!何もかもイヤだ!」

つまり、子どもなりの自暴自棄状態なのではないかと思うのだ。
私は専門家でもなんでもないので、勝手な想像と、意見であることは主張しておきたいが、あながち外してはいない気がしている。

親の語る言葉の重要性

最近こんなことを考えていたからか、外に出ると他人の言動がやたら目に入るようになった。

つい最近、公園で泥んこになって遊ぶ長男を見て、羨ましくなったのであろう男の子が「僕もやりたい」とお母さんに伝えているシーンを目撃したことがある。
即座に「だめよ」と否定されていて、私の方が申し訳ない気持ちになった。
「池の中に木の実を投げる」という長男の遊びさえ、大して汚れることでもないのに真横で禁止されていたので「それくらいはよいのでは…」と余計な一言をつい言いそうになってしまったほどだ。

はたまた、まさに今日の話だが100均で隣にいた親子の会話が耳に入った。粘土を買ってくれとねだる子どもにお母さんは「粘土は保育園でしなさい。家はお父さんが嫌がるからダメ」と言っていた。
私なら絶対に言わない言い方だったので、わりと驚いた。
親の都合で説明して、果たして子どもは納得するのだろうか?
我が子だったら絶対にしない。

一つひとつは些末なやりとりだが、子どもとのコミュニケーションは日々の蓄積である。
ある日突然方向転換しても、それまでの蓄積された関係は中々変えられないと思っている。
子どもへの向き合い方/言動をどうしていくか?これは親として私も日々悩んでいることだが、本当に大切なテーマである。

イヤイヤ期にどう対処するか

話が散らばりすぎたが、まとめとして私のイヤイヤ期の対応を記して終わりとする。
何度もいうが、私のやりかたなので正しいかは保証しない。
ただ結果として、保育士などのプロから見てもらっても「イヤイヤ期が軽い」と言ってもらえているので、n=1の事例ではあるが、参考にされる価値はあるかもしれない。

1.何がやりたいのかという主張に耳を傾ける

大人からみると意味がわからないことでも、とにかく子どもが「何をやりたいのか」を真摯にきいてあげる

2.どうしてもダメなこと以外は好きにさせる

基準は先述のとおり、「危険なとき」「社会的に許されない・誰かを傷つけること」「どうしても親の都合を優先させねばならぬとき」以外。
あと、どうしても私が疲れていて対応できないときも、子どもには申し訳ないがダメだと言う。なるべくそういう場面を減らしては行きたいが、私は私自身のことも大事にしているので、無理をしすぎて自分の限界は超えないようにしている。

3.ダメなときは、一旦子どもの気持ちを受け止める

そうだよね、やりたかったよね。食べたかったよね。行きたくなかったよね。
ダメだというときは、子どもの気持ちにまずは共感してあげるようにしている。これだけでも子どもは目に見えて落ち着いてくるのがわかる

4.正確に理由を説明する

ダメな理由も必ず説明する。適当なことを言ってごまかすのではなく、本当のことを丁寧に説明する

5.納得してくれたら礼を言う

私のいうことをわかってくれたとき、もしくはイヤイヤ泣きをやめてくれたとき「ありがとう。ママわかってくれて嬉しいよ」と感謝の気持ちを伝えるようにしている

こんなことを日々やり続けている。
ちなみに、ごくたまに虫の居所が悪いのか、ぐずりにぐずることがあり、そんなときは基本的に一旦突き放すようにしている。

大声で叱ったりはせず、冷静に、でも毅然とした態度で子ども部屋に1人にさせて頭を冷やさせたりしている。 
暫くは突っ伏して泣いたりしているが、体力の消耗により疲れてくるのか、いつのまにか泣き止んでいる。

そこで、改めて部屋に行き子どもとゆっくり会話をする。
興奮状態から一旦落ち着いているので、ヒクヒク泣いていることもあるが、ちゃんと私の話をきけるようなトーンにはなっている。
わかってくれたら「ありがとう、大好きだよ」と言ってハグをして終わる。
子どもの気持ちを切り替えてあげることが大事なので「そうだ!一緒にあれやらない?」などと、すぐに楽しいお誘いをするようにもしている。

また、まさに今夜がそうだったのだが「ご飯食べない!カレー嫌だ!パンが食べたい!」などとワガママを言いだすこともある。

これはまぁメニューを勝手に決めているという点で親の都合と言えば都合なのだが、私の中では「作ってもらったものを食べる」というのは、無理やり押し付けているというより、子どもが守るべき社会のルールだと思っているので、ここは「食べたくなかったよね」と共感はせず、割と冷たく突き放している

「わかった。食べなくてもいいよ。だけど、パンはあげないよ。今朝も食べたからね」
と今日も普通のトーンで話してみた。

「食べたくない!」とそれでも暫く言っていたので、
「だから食べなくていいよって言ってるよ。でも、食べないと今日のご飯はないからね。そこで1人で本とか読んで遊んでたら?」
と続けると、自分から「食べる」と言って突然ダイニングへやってきた。

結果ペロリと完食したあげく「(ちゃんと完食して)Good boyだからブルーベリーも食べたい」とちゃっかりデザートの交渉までされた(笑)
全く子どもというのは面白い。

このように、親は基本承認して「本人に選択をさせる」というのも便利な対応法だと感じる。
服を着たくない!などという時も「じゃあ、こっちとこっちどっちなら着たい?」と選ばせるとわりとすんなり着てくれることが多い。

さぁ、私の試練はここからだ

今一番不安なのは、来週から私が仕事復帰をすることだ。この2ヶ月は自粛生活をしていたため、時間だけは有り余るほどあり、とことん長男に付き合ってあげられた。
だが、来週からどうしても「親の都合」を通さねばならぬ場面が増えると思う。
また、私自身の余裕がなくなるのが1番まずい。
親の気分によって、やっていいこと・ダメなことを変えたり、叱ったり・叱らなかったりするのは本当に良くない。

ぐぬぬ、私は大丈夫だろうか。
不安でいっぱいである。

フルタイムで働きながら、子どものイヤイヤ期とどう向き合うかはまたいつか、ポストしようと思う。

本代に使わせていただきます!!感謝!