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物事を「勘」で決めちゃダメですか?

今から10年ほど前の話である。
とあるメディアの営業をしていた時に、訪問した会社のNo2である女性専務にこう言われた。

「あなた…男は努力と根性、女は勘と度胸よ?」

桃井かおりと黒柳徹子を足したような、独特の凄みのある人だった。
どんな文脈でこんな名言を授けられたのかは記憶にないが、あまりにも響きがキャッチーで、また専務の圧倒的な存在感が忘れられず、事あるごとにこのセリフを思い出していた。

私が女も努力と根性が必要だと思っている、コテコテの昭和産まれスポ根タイプなのはさておき(運動音痴だけどね)、今日はこの「勘」というものについて書いてみようと思う。

直感を信じて生きてきた

「それってどういう意味ですか?」なんて聞き返す勇気のなかった私に、もはや専務の発言の意図を確かめる術はない。

だが、察するに「女は大切な局面で勘を働かせなさい。あとはそれを信じて飛び込めばいいのよ」という意味なのではと思う。

振り返ってみると、元来感覚派の私は、人生の大事な選択を常に自分の直感に従って決めてきた。
仕事に関しても、いわゆる「就職活動」や「転職活動」というものをしたことがなく「なんかここで働くイメージが湧く!」という1社のみの選考を受けて職を決めるという中々アドベンチャーな意思決定を繰り返し行ってきた。

どうしても入りたいから、ここだけ受ける。
落ちたらその時に次を考える。
我ながら潔い。
しかも既に現職を辞めることを伝えてしまっていたこともあった。

う〜ん、落ちたら無職になっちゃうな。ま、いいか。何かこの会社が一番ピンとくるし!ここにどうしても入りたいのに、他の会社の面接で志望動機とか言えないし(変なところで不器用)!

20代だったからこそできた、向こう見ずな選択だった。
結果的に運よくどの企業にも採用してもらい、無職にはならずにすんだ。
そして実際に働き出してからも、一度もその選択を後悔することはなかった。
勘の勝利である。

そのほかにも、結婚、転居など重要なライフステージの変化を私はことごとく自分の直感に頼って生きてきた。

結果何一つとして後悔しておらず、専務の言うように勘を信じておけば何とかなるものなのかなぁ〜と楽観的に思っていたのだが、最近は、でもそれって何か前提があるんじゃないの?と考えるようになった。

そう思うようになったのは、とある友人の選択に衝撃を受けたからだ。

彼女との出会い

彼女と出会ったのは何年前だったろう。
私が勝手に「永遠の戦友」認定している友人に「俺の彼女」と紹介されたのが始まりだった。

最初は、丁寧で気が利くかわいい子だなとそれくらいの印象だった。
だけど次第に私は彼女の強さに魅せられていく。

そもそも「戦友」はかなり特殊な性格で(褒めてますよ)はっきり言ってパートナーとして付き合っていくには難易度が高いタイプなのだ。

優しいとか優しくないとか、そんな表面的なことではなくて、彼は彼独自の世界観をしっかりと持っていて、そしてそれを人に押し付けもしない代わりに、誰にも踏み込ませないようにしているようなところがあった。

そして生きる上での彼なりのポリシーを重んじていて、その美学を優先する人だった。
私も仕事仲間や、自分に刺激をくれる友人としてはそんな彼の生き方がカッコよくて大好きだったし、何より尊敬していた。

だが、恋愛となっては別である。
私が超天真爛漫、人生バラ色タイプのポジティブお化けの夫と結婚したことからもわかるように、「戦友」みたいなタイプはレベルが高すぎて、私だったらとても太刀打ちできる自信がない。

だからだろう。
「彼女」として紹介された時に「ほう、彼に挑むとは中々の度胸の持ち主だな」と密かに思っていたのである。

彼女の決意に心が震えた

前置きが長くなったが、私が彼女に対しての見方を変えたのはとある出来事がきっかけだった(初対面からずっと好きではあったのだが)。

突然彼が、岩手に引っ越すことになったのである。
え?岩手?なぜに?
何の地縁もないエリアへの急な転居。しかも真剣交際している彼女には配慮せず、彼は絶対に行くと決めている。

この時の彼の心境は聞いたことがないのでわからないが、自分が彼女の立場であればやはり不安だしショックだったと思う。
彼の新天地での生活は応援したいが、私たちの関係はどうなるの!?そんな大事なこと勝手に決めないで!
そう怒っていたかもしれない。

彼と彼女にそんな諍いがあったかどうかは定かではないが、結果彼女は「一緒に岩手に行く」という選択をした。
しかも、自分の仕事を辞めて、である。

彼女はめちゃくちゃに仕事ができる。
お気楽に働いていたわけではなく、骨身を削って仕事に取り組んでいた。
間違いなくエース級の活躍をしていたし、会社で不動のポジションを獲得していたはずだ。

それを全て捨ててついて行くと言う。
「え、ほんとに?それでいいの?」そう聞いた私に彼女はこう言った。

「私が彼と一緒にいたいから、いいんです。仕事はまた向こうで何か見つければいいし!」

それだけでもカッコよくて痺れたのだが、話を聞けば聞くほど彼女の考え方、というか彼女の存在そのものが眩く感じてどんどん引き込まれていくのがわかった。

彼と彼女はそこそこ歳も離れており、まぁいわゆる結婚適齢期でもあった。
真剣に付き合っていたのもあり、彼女は結婚したいという意識も持っていたと思う。
でも、困ったことに彼の方は「結婚なんて意味わかんないわ。一生したくない」という考え方の持ち主なのだ。
それはそれで彼の考え方なので、何ら問題はない。
だけど、彼女が結婚を望んでいたのだとしたら、それは中々に心を痛める闘いとなる。

ましてや、この状況である。
正直私なら「どうせ結婚願望もないし、これを機に別れよう!」という判断をしていたのではと思う。
でも彼女は違った。

「ついていくことで、彼に結婚のプレッシャーを掛けたいみたいな気持ちは一切ないんです。私が自分で決めて、勝手についていくだけだから」

彼女の言葉には、虚栄がなかった。
仮について行った後に別れたとしても、仕事がうまくいかなかったとしても、彼女はきっとそれを彼のせいにはしない。

私はいい仕事についていたのに、とか
こんなに尽くしたのに、とか
彼のせいで、とかそんなことはきっと言わない。

彼女の言葉には自分で決めたことの責任は自分で取るというような強さが滲み出ていた。

ああ、こんなにカッコいい子に会ったのは初めてかもしれない。酸いも甘いも経験してきた人生の大先輩ならともかく、自分よりも年下で、こんなに腹の据わった子を見たことがない。

好きだ。すごく好きなタイプだ。
こんなに心が震えたのは久々だった。
話し終えた後、彼女はすっかり私の「推し」になっていた。

彼女の意志の勝利

その後、何が起きたかを説明する。
彼女は宣言通り岩手へついて行き、現地で新しい仕事についた。
新しい仕事で悩み苦しみながらも、やはり彼女はバリバリと働いた。

そして暫くしたのち、何と結婚したのである。

この結婚を一番喜んだのって私なんじゃない?と思うくらいに嬉しかった。
ずっと彼女推しの私としては、もう絶対にこの子じゃないとダメでしょ!
戦友さんみたいな難しいタイプについて来てくれるの、この子しかいないよ!
と確信していたのだが、恋愛…ましてや結婚に他人が口出しすべきではない。

じっと堪えて成り行きを見守っていた。
どんなタイミングで結婚を決めたのかはわからないが、彼は私に「岩手まできてくれて、これはもう俺も覚悟決めなきゃって思った」と言った。

この発言は、決して彼女がついてきたことを重荷に感じたとか、責任取らなきゃとネガティブに思ったからではないと思う。

彼もまた私と同じように彼女の芯の強さと、カッコよさに心が動かされたのだと思う。
計算や打算のない真っ直ぐな気持ちは、人の気持ちを変えるのだ。

「勘」を信じることの本質とは

「女は大切な局面で勘を働かせなさい。あとはそれを信じて飛び込めばいいのよ」

専務の発言をまた思い出す。

岩手への引越しは、まさに勘と度胸での行動だったように思う。
行くメリット、行かないメリット、そんなことを考えたのではなく、彼と一緒にいるということを直感的に選んだのだと思う。

そしてそれは結果的に幸せな結末をもたらした。

私はこの一連の流れを見ていて考えた。
もしかして「勘」の決断や結果自体に意味なんてないんじゃないだろうかと。
「勘」の精度は経験によって変わるかもしれない。
だけど、それはどこまでいっても「勘」なのであって、うまくいかないリスクを常にはらんでいる。

大事なのは、成功するか失敗するかという結果ではなくて、例え失敗したとしたってその選択を後悔しないという、本人の覚悟があるかどうかなのではないか。

つまり、起きた事象を他責にしない。
自分で決めたことは自分で責任を持つ。
そんな一本筋の通った人間は、「勘」で物事を決めたとしても結果的に幸せに導かれる気がしている。

振り返れば私も、先述のようにいつだって自分の勘を信じて生きてきたが、どの選択のときも「自分の選択に責任を持つ」ということは肝に銘じてきた。

よく考えたら転職して辛いこともあったし、夫と結婚して苦労したこともあった。
でも喉元すぎて思い出すとそんなに大変だった気がしないのは、やはり自分が「だって私が決めたのだもの」という覚悟を持っていたからだと思う。

論理派の人からすると全く意味不明だと思う。
だが繰り返しになるが、私のこの決断や行動は本当の意味で「自分の勘の精度を信じているわけではない」ということだ。

間違ってもいい、失敗してもいい。
でも後悔しない。そう思っているのだ。

だって、世の中の多くのことはロジックじゃ決まらない。
私は仕事や問題解決の場面ではロジカルさを重視するが、人との関係性や生きる楽しさなんかは直感に頼る。
それらは数値化できないし、必ずしも良い悪いで判断できないからだ。

判断したとしたら、逆に「あんなに分析したのになぜダメだったのだろう」と失敗したときに後悔する気がする。
一体どこで、何が間違っていたんだろうとネガティブな思考のループに陥ってしまう気がするのだ。

だったら、そこまで思考を深めずに最終的には直感と勢いで行動したほうが潔い。
(もちろんある程度の前提は論理的に判断もしているが)

専務の言ったように「度胸」を持って、えいっと決意する。
予測不可能な未来は怖いけれどいつだって私をドキドキさせてくれる。いつだってそうだった。

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ちなみに先日、久々に戦友夫婦と話したので、今なら思いっきり言える!!と「戦友さんの最大のナイスチョイスは、彼女と結婚したことですよ!!」とお前は何様だよという意見を好き勝手に言いまくってきた(笑)

私にいつだって新しい刺激をくれ、強さを思い出させてくれるふたりが私はやっぱり大好きだし、心から尊敬している。

「一生このふたりと、いい関係性を築いておけ」
私の勘が、今そう言っている。


本代に使わせていただきます!!感謝!