女性◯◯って言葉は嫌いなのに、ミスユニバースはアリだと思ってるのはなぜか【ほぼ日 vol.14】
性差による区別は好きではありません。
男性優遇だろうと女性優遇だろうと、意味のないことに性差を感じさせるもの全般あまり好きではありません。
レディース・デーとか、女性専用車両とか、「女性警察官」という言葉とか。
女性作家、女性社長、女性起業家、とか。
そのうち「女子サッカー」も死語になっているかもしれないですね。50年くらいかかりそうだけど。
ただ、性差は実際存在しているので、社会がこれまで保持、維持してきたものは仕方ないとも思っています。現実問題、子どもは女性にしか産めないし、その分外で仕事はしてこなかったのだから甘く見られることもあるのです。
空気感みたいなものは、日本独特だから憤りを感じることもあるけれど。
仕事では投資家対応をしているのですが、株主からの電話に対応しようとすると、「あなたにわかるかわからないから男性に代わって」とか言われるし、逆に「女性だからか男性の先輩に対してよりも社長からの扱いが優しいね」と周りに言われることもあります。これは、現実。
まぁ、というのは別の主張なのでさておき。
こういう発言を時折しているのに、ミスコン出るって矛盾があるのかな?と反芻していました。
でも自分の中では矛盾がないんだよな、なんでだろう、と。
実際、2018年のミス・ユニバース世界大会でも「先進的な今、ミスコンは遅れていると思うか?」のような主旨の質問がされていました。
でも、自分なりにこの答えを見つけました。
上の質問に答えるなら、Noです。
ミスコンは別に「時代遅れ」ではない。
なぜか。
ふたつあります。
① 女性だけを切り取った勝負だから
生物学的には、世界の約50%は男性で、残りの約50%は女性です。
で、「女性起業家」とか「女性社長」「女性運転手」という言葉になんで違和感があるかというと、①その言葉に男性のものという前提がくっついており、②男女いる世界から女性であることにフォーカスを当てているからだと思うのです。
でも、ミスコンは最初から「女性の戦い」。
前提が女性なので、その人が女性であることにフォーカスは当たらず(なんかここらへん反論きそう)、区別は生まれません。
今年はスペインから初めてトランスジェンダーの方が出場し注目を集めたようで、それはとても素晴らしいこと(それだけで話題になる、発展途上な世の中という認識は持った上でこう言います)。それはどんどん推進されるべきと思います。「女性の枠」が広がったわけだから、喜ばしいことです。
それでは、どうして「女性だけの切り取り」が許されるのかというと、
② 性差があることは事実であり、女性の外見の美はひとつ確立したものとしてあるものだと思うから。
先述したように、性差があることは事実です。
「男性らしさ、女性らしさ」を中身に求めるのは好きではありませんが、身体のつくりが違うことは事実だからです。
曲線美、メイクアップ、艶やかさ、ドレスを着たときの華やかさなどは女性が持って生まれ、磨いて光らせることができるものの一部だと思っています。
ミス・ユニバースが内面に「おしとやかさ」「物腰の柔らかさ」「女性らしさ」とかを求めてきてたら絶対出ないと思うし吐き気を催していると思うのですが、世界的な大会というだけあって求められているのは自信や誠実さ、知性、感性など、世に出る人として大切なことです。
厳密に言えば「オピニオン・リーダーであること」は女性が女性だから求めてられていることかもしれませんが。
つまり、ミスコンは女性にフォーカスをしているようで実は「区別」をしていないのではという主張と、外見に性差があることは事実だという意見でした。
「女性」と「ミスコン」について。
考え事でした。
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