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写経する週末ーこんなの真似したい。

週末の朝どちらかで、写経なるものをしています。知人のお誘いを受けてはじめました。

写経(しゃきょう)とは、仏教において経典を書写すること、またはその書写された経典のことを指す。(Wikipedia)

とはいえ、お経を書き写しているわけではなく、好きな本の冒頭を30分弱ほど書いているだけです。

最初は同じ本でやろうかなと思っていましたが、毎回ちがう本の書き出しを写してみるというのも楽しいかもね、と彼女とお話ししてそのようにしています。

4週目に入ってアウトプットにもつなげたい気持ちがわいてきたので、自分が文章を書くことがあれば真似したいところを列挙してみます。

Week 1. スプートニクの恋人/村上春樹

 22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい濃いだった。
 それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩き潰した。そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコールワットを無慈悲に崩し、インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ砂に埋もれさせてしまった。みごとに記念碑的な恋だった。

①オリジナリティ

この冒頭については、他のnoteでも1-2回書いている気がします... そのくらい好きな本です。ハルキストたちの間に限らず、あらゆる小説の中でレジェンド的な書き出しなきがします(他の人の意見はまったく知らないけど)。これを見ただけで「あぁ、村上春樹だ」という感じのような。

何が彼を彼たらしめているのか、彼の他の本の出だしも書きたくなってきました。

②具体的な固有名詞

 彼女は定期的に文学的アイドルを取り替えたが、その時の相手はいささか「季節外れ」なケルアックだったということだ。いつも上着のポケットに『オン・ザ・ロード』か『ロンサム・トラヴェラー』をつっこんで、暇があればページをくっていた。そして気の利いた一節があるとそこに鉛筆でしるしをつけ、ありがたいお経みたいに記憶した。

村上春樹の小説には具体的な固有名詞がよく出てくる。実在するかつマニアックな小説家や書名、ミュージシャンの名前などなど。それがミーハー心をくすぐる。

そして代わりに人名はあまり出てこない。特に初期の頃の作品。
あだ名(「」とか「ミュウ」)だけだったり、「ぼく」だけだったり。語り口の主人公が第三者に名前を呼ばれることによってやっと「ぼく」の名前がわかったりする。それも「ワタナベくん」(『ノルウェイの森』)だけだったり。

③「それそれ!」と心に入り込んでくる細かい主人公の行動や感情

「言い得て妙」というと急に陳腐になってしまうけれど、これこれ!と入り込んでくる日常的な心の動きや習慣をうまく表現してくれているのが、村上春樹にハマる大きな理由のひとつです。自分を憑依してくれているというか、自分が憑依されているというか。一緒か。

「文学的アイドルを定期的に取り替える」とか、「気の利いた一節があると」とか。

小説の文章の基本なのかな?とにかく、わたしがハマるのはそういう小説が多いです。平たく言うと「代弁」ということなんだろうと思う。

④主人公たちがかっこいい

もうひとつ心をくすぐるのは、主人公たちの立ち居振る舞いがかっこいいんですね。真似したくなるような人物をかきたい。

上着のポケットに小説を突っ込んでいるとか。かっこよくて、たまに真似しています。

村上春樹の小説に出てくる男の人はよくササっとサラダを作ってオリーブオイルをかけて食べたり、ミネラルウォーターを飲んだり、泳いだりしていますが、ちょっと憧れてしまう。

あつくなって1冊目から長く書いてしまった。

Week 2. 猫を抱いて象と泳ぐ/小川洋子

「博士が愛した数式」で有名な著者の本です。

 リトル・アリョーヒンが、リトル・アリョーヒンと呼ばれるようになるずっと以前の話から、まずは始めたいと思う。彼がまだ親の名付けたごく平凡な名前しか持っていなかった頃の話である。
 七歳になったばかりの少年は、時々、祖母と弟の三人でデパートへ出かけるのをささやかな喜びとしていた。路線バスで二十分ほどの道のりは、乗り物に弱い彼にとっては苦しみに満ちた時間であったし、大食堂でお子様ランチを食べたりというデパートならではの楽しみが約束されているわけでもなかったのだが、それらを差し引いてもなお、そこでの時間は特別な体験だった。

⑤小説全体に漂う切なさ

もうね、しばらく読み進めないとなかなか出てこないのだけど、そして小川洋子さんの小説は2冊しか知らないのだけど、切なさに満ちている。

わたしはシンプルにそういう小説を書いてみたい。

⑥無駄がない

長編なのに、この最初のデパートのくだりはただの冒頭の情景描写ではなく、読み進めるも最初から無駄がなかったのだということに気づく。

乗り物に弱いというところも、大食堂でのお子様ランチの特別扱いも。ただのとってつけたような場所の設定ではなく、この最初の2文もあらゆるところで切なさとともに回収されていく。

そしてタイトルの「猫を抱いて象と泳ぐ」。他のなんでもなくこのタイトルにした深い意図までは読み切れないけれど、小説そのままをとらえどころのない言葉の組み合わせで体現していることは確かです。

Week 3. 西の魔女が死んだ/梨木香歩

村上春樹の次くらいに好きな小説家かもしれないです。エッセイの方が好きかな。今回の写経タイムではエッセイはやらないことにしてるので、これにしました。

 西の魔女が死んだ。
 四時間目の理科の授業が始まろうとしているときだった。まいは事務のおねえさんに呼ばれ、すぐお母さんが迎えに来るから、帰る準備をして校門のところで待っているようにと言われた。何かが起こったのだ。
 決まりきった日常が突然ドラマティックに変わるときの、不安と期待がないまぜになったような、要するにシリアスにワクワクという気分で、まいは言われたとおり校門のところでママを待った。(中略)
 まいは腕をずらして、車のフロントガラスを見つめた。雨がぽつぽつとそこに水滴を付け始めた。ママはまだワイパーを動かさない。

⑦最初の一文がタイトル、そしてなにかが起こる

タイトルがそのまま最初の一文。これもかっこいいですね。こういうパターンの小説、ありそうでどのくらいあるのだろう。でも、まだ「西の魔女」とはどういうことかわからない。そしてすぐに「なにかが起こる」。

”決まりきった日常が突然ドラマティックに変わるときの、不安と期待がないまぜになったような”

学校という場、そしてこの非日常感への高揚感、ここにもわかりやすく『共感』『代弁』が混ぜこまれている。

⑧直接的な情景描写が、間接的な情景描写にもなっている(無駄がない)

 まいは腕をずらして、車のフロントガラスを見つめた。雨がぽつぽつとそこに水滴を付け始めた。ママはまだワイパーを動かさない。

ここで運転しているママがワイパーを動かさないのは、ママがすーっと静かに泣いているからなのですね。泣いているということ、そしてママの勝ち気な性格みたいなものが、こういう行動パターンとして描写されている。

ただ雨が降っているわけではないのです。お見事だな、と思う。

この小説も切なくて、でも心に広がる景色やまいの繊細な心の動きが、忘れていた子供心を呼び覚ましてくれます。

Week 4. 車輪の下/ヘルマン・ヘッセ

ここで初めて訳書に手を付ける。

原文じゃないけどいいかな?と思いつつ、村上春樹風にいうと「時の洗練を受けた」小説であり小説家である一冊だから、いいかな〜と思って今日はこれを手に取りました。

 仲買人、兼代理人店主、ヨーゼフ・ギーベンラート氏は、同じ町の人にくらべて、目立つようなすぐれた点も変ったところも、べつに持っていなかった。みんなと同じように、恰幅のよい丈夫そうなからだつきで、商才も人なみだった。(中略)
 精神的な能力といえば、生れついた、融通のきかないずるさと計数の才を出なかった。読書といえば、新聞に限られており、芸術鑑賞の欲求を満たすには、町会でやる例年のしろうと芝居とときおりのサーカス見物で事たりた。
 彼は、任意の隣人と名まえや住所を取り替えても、たいして変った者にはならなかっただろう。

⑨主テーマとの対比

はい。延々2ページほどにわたり、ヨーゼフ・ギーベンラート氏がいかに「普通」かが書かれております。しかも彼は主人公ではなく、主人公の父。

非凡な才能を持つ彼の息子が猛勉強をして神学校に行き、心が折れていく過程を書いた小説です。確か。

これはハリーポッターと同じだなーと書き写しながら考えていました。

最初にダーズリー家がいかに普通か、物語の始まりの火曜日がいかに普通の曇った火曜日かいうことに延々とページが割かれ、そこからハリーポッターのマジックが始まっていくのですね。

非凡な出来事や人物との始まりは、至って普通の日々の描写から始まるのでした。

⑩一言で済むことを、あらゆる方面やあらゆる表現をもって書く

延々2ページ、主人公でもないギーベンラートさん(父)について書ける。

彼の内的生活は俗人のそれだった。いくらか持っていた情操らしいものは、とっくにほこりにまみれてしまい、せいぜい・・・

「俗人の内的生活」がどういうもので、普通の人の「精神的な能力」がどういうもので、何を信じていて、ということをギーベンラートさんを通して描写する。

どんな仕事をするのか、体格なのかだけでなく、どんな飲み方をする人なのか、酔っ払うのか、どんな人のことをどう思っていて、とか、腸詰めスープ会の常連で、因襲的な粗野な家庭心をもっており、とか、、、あらゆることだ。

村上春樹もそうだけれど(またかよ)、歩いて2m進んでいるということを2ページくらい使って表し、一晩が経ったよということで1章完結してしまうのが小説なのかなぁと思う。

ヘルマン・ヘッセは、「少年の日の思い出」というチョウの標本を握りつぶしちゃう少年の話が教科書に出てきていたので有名ですね。そんなタイトルの物語だったんですね。

真似したいところ

①オリジナリティ
②具体的な固有名詞
③「それそれ!」と心に入り込んでくる細かい主人公の行動や感情
④登場人物がかっこいい
⑤小説全体に漂う切なさ
無駄がない(冒頭の描写もあとから回収)
最初の一文がタイトル、そしてなにかが起こる
⑧直接的な情景描写が、間接的な情景描写にもなっている(無駄がない)
⑨主テーマとの対比
⑩一言で済むことを、あらゆる方面やあらゆる表現をもって書く

こんな感じでした。

写経をやってみて良かったこと

個別の小説について気づきを色々と書いてみましたが、写経そのものにはこんないいことがありました。

①集中した朝の時間を持てる

携帯に触らず、文字を書く時間。携帯を触っているだけで過ぎてしまいがちな30分が、豊かになります。

②漢字を思い出す

読めるけど書けない漢字。あるある。

書けた気がするけどなかなか書く機会のない漢字。あるある。

鉛筆、熊、愛嬌、黒縁、鰐革(わにがわ)、恰幅。などなど。

③新しい言葉を知る

漢字にも似ているけれど、言葉も新しい発見があります。

 ・喜捨心:喜捨(きしゃ)とは進んで金品を寄付・施捨すること。(Wikipedia)
 ・因襲的:昔からのしきたりだけを尊重し、進歩的、改革的な考え方をみとめない状態、傾向であるさま。(コトバンク)

とかね。

④良い文章に意識して触れる

内容が良いかどうかも、文章が内容をどう表しているかによると思う。

中身に注目しがちな「文章」を、その中身がどういう言葉郡で構成されているのか少しでも意識できるのは素敵な時間です。

⑤読書習慣

これはおまけ的な要素だけど、毎週違う本を手に取るので、冒頭を書いてみるとやっぱり最後まで読んでみたくなりますね。

手に取るのは「昔読んでなんとなく好きなことは覚えているけど内容は覚えていない本」が大半なので、その日に読み切ってしまったりします。今日は読めない気がするけど。ヘルマン・ヘッセ。

来週も

たまに心を落ち着けるためにやっていた写経。

人とやることで4週連続でできました。感謝。

そして、1ヶ月たったタイミングで振り返りしてみてよかったなー!

素敵な本との出会い。まだ読んだことない本にもそろそろ手を出してみようかと思います。

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今日は鎌倉のカフェで、これを書ききりました。今日も明日も、よい一週間にしましょう。

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