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「社会課題解決」って言っとけばいいんじゃないか vol.6/100/2021

「社会課題」という言葉は便利だ。自分でも使う。

#2021年の100冊 が達成できそうなので、書く方を始めることにしました。
9月から始める #2021年の100篇 vol.6。

何かがありそうで便利な言葉

「社会課題」という言葉は便利だ。

そこになにかありそうな気がする。
自分でも使ってしまう。
その言葉を発するとき、具体的な「問題」が頭に思い浮かんでいる人はどのくらいいるのだろうか。怒りや悲しみ、やるせなさを抱えている人はどのくらいいるのだろうか。

「ビジネスを通じて社会課題を解決する」
よく聞く言葉でもある。

なんでも「課題」にして、これを解決しているから「社会課題解決型ビジネスだ」というのもなんだかその言葉の便利さに乗っかっているだけな気がする。

「社会課題解決のため」という言葉がHPに見つかれば、「なんかいい会社」「いまどきの会社」「アツい会社そうだ」と思うのにちょうどいい。
目を輝かせてしまう自分にも、ちょっと待てよと言いたくなる。

おそらく本当に社会課題を解決しているんだろう。
おそらくお客さんの抱える「社会課題」が多岐にわたるから、一言でまとめると「社会課題」になるんだろう。
自分の「得意」を、誰かの「課題解決」に活かす。理想的なビジネスだ。

そういう風潮は喜ばしくありつつも、わたしは天の邪鬼なので、みんながこぞって「社会課題解決」と言い出すと一歩ひいてしまう。

だから、なぜ「社会課題」という言葉があふれているのかちょっと考えてみた。

前身MDGsと比較してみるSDGs

なんで、日本に「社会課題」が溢れ出したのだろうか?

今日、9月25日は2015年にSDGs(持続可能な開発目標)が採択された日らしい。日本でこれほど騒がれ、街なかの広告に17色のアイコンが見られるようになったのも、この6年間の話。だって6年前に生まれたのだから。

SDGsは2030年までの世界的な開発目標のことだけど、その前身であるMDGs(Millenium Development Goals: 2000-2015年)がどうして日本で騒がれていなかったかというと、途上国だけのものだったからだ。

貧困の削除を目標にした、「途上国の開発目標」だったのだ。

だけど、貧困の削減も、地球環境の改善や保全と同時にやっていかないと地球がもたない。経済はもはや一国で回っているものではない。そして貧困も含めジェンダー平等や教育格差の問題は、先進国でもなくなることはない。

だから、世界中がひとつの「国」として協力する必要があるということに、国連が気づいたのだ。

SDGsの日本での扱われ方について。ちょっと各論になる上にネガティブなのだけど、この記事を書くモヤっとの原因なのでしばし。

小学生の頃から朝はラジオを聴いているのだけど、その全国的なメディアがどうにも腹立たしい。

女性アナウンサーの年齢をネタにしたり、アスリートの外見の話をしたり、土曜朝から(何時ならいいってもんじゃないけれど)下ネタなラジオネームでもらうお便りで笑ったりしている。
2020年まで「女性アナウンサーカレンダー」を発売していて、2021年から「アナウンサーカレンダー」になった。「女性」をとればいいってもんじゃない。

そのメディアも「SDGsウィーク」をやっているけれど、パーソナリティーが「SDGs!なにそれ!」と言ったきり特に解説はなく、本当に「よく聞くけどなんなの?」と思っている視聴者が理解する内容ではなかった。
(「国連がつくった」「持続可能な開発目標です」という説明はあったけれど、原稿を作った人含めて誰もわかってないと思う。)

番組の間にときどきそのパーソナリティが「SDGs! SDGs!」と連呼する。
「お掃除もSDGsです」「というわけでお掃除に関するお便り送ってください」ときて、10年以上聴いているそのラジオを聴くのをやめようかなと本気で思った。「SDGsウォッシュ」にもなってない。

メディアがメディアなら、視聴者も育たない。こういう日常で触れるちょっとした(しかも全国に流れる)会話が、セクハラを許す文化を残してきたり、環境問題や宗教を軽視する意識を育んでいるんじゃないかと思う。

成熟社会の社会課題

そもそも先進国には「社会課題」が溢れてるもんだ、という主張もある。

「社会の無関心の打破」をミッションに、スタディツアーやメディアを通して社会課題の可視化をはかっているRidilover(リディラバ)という会社がある。代表の安倍さんがどこかで書いていた言葉が好きである。

社会で起こっていることを知ると、知らない誰かに優しくなれる。

正確ではないけれど、こんな感じ。

逆に知らないと、人は、社会は冷たくなる。妊娠のつらさ。車椅子の不便さ。発達障害の生きづらさ。頑張れない病気なんだと人に言えない。髪の色が人と違う。

街でピョンピョン跳ねながら声を出してしまう人が、実は自閉症の特徴で、単に素直に嬉しさを表現しているのだとわかれば、避けたり好奇の目で見たりしないかもしれない。あの人が風俗で働くのもあの子が万引きするのも、社会がそうさせてるのかもしれない。

戦後の日本や、今の途上国を見ると社会課題は「お腹がすいた」「お金が必要」だった。

今の先進国社会は、いやもはや途上国でも、ある程度成熟した社会では人々の抱える課題が多岐にわたっている。ある人は自分の性別で苦しむ。ある人は親の介護と仕事の両立で疲弊している。ある人はスマホの使い過ぎを訴えている。ある人は地球の行く末を憂いている。

「当事者」みたいな言葉が生まれ、それ以外の人との分断ができている。課題は多様化し、声は届きづらい。

リディラバ安部さんの受け売りだけど、そもそも成熟社会には「社会課題」がたくさんあるのだ。

会社は社会課題を解決するツールなのか

国連が、開発目標を先進国にも求めた。
そもそも先進国社会にはいろんなひとがいろんな課題を訴えている。

だから、いま「社会課題」という言葉が世の中に溢れる。きっとそうなんだと思う。

「そもそも世の中の会社は社会課題を解決するためにあるじゃないか」という声も聞こえてきそうだ。

でも、わたしはそうとも言えないと思う。儲かるからやるビジネスだっていっぱいあると思う。それが悪いとは言ってない。

でも、儲かるためにやるんじゃなかったら、誰がFacebookを脳に刺激を与え開きたくなるプッシュ通知を作り、ソーシャルゲームの課金システムを作っただろうか。

タピオカが流行ってるからお店を出そうって決めたり、新しい色のリップクリームが出ましたよ!って次々と新商品を出したり。これ「課題ですよね?」ってニーズを創り出すことが特に成熟した社会の資本主義の中では命題になってたんじゃなかろうか。

「タピオカが飲みたい」という課題を解決してるんだ!会社はすべて世の中の課題解決のために存在してるんだ!って理論は個人的に好きじゃない。

その上で、「社会課題解決してます」って言っておけばいいんじゃないか、という便利な言葉を使い、便利な見せ方をする前に、自分の言葉で考えたい。

みんな、何かいいことしたいよね。わたしもその1人です。

本当は、何をしているんですか?
何を解決しているんですか?
あなたの信念はなんですか?
「社会課題」というあなたの言葉ではない言葉を使わずに説明するとしたら、なんて言うんですか?

うー。自分にも聞きたい。

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