夕方さんの記事を読んで
誤情報の拡散が気になるのところに1らしさを感じた。私はこの視点が完全に抜け落ちていた。自分で情報の取捨選択をすることに重きを置いているためだ。というかそもそもそこまで他の人の在り方を気にしていないかもしれない。1と比較したときにそれが顕著。相手には相手の自由があるし(責任は伴うけれど)、こっちも必要なものだけ取ってくからお互い様だよ、そしてこっちにも発言する権利はあるからねという感じである。
【4/9追記】
※ただし1は自分の強い怒りは感じている。怒りの正当化をはかるために、理論に乗せているというだけ。自分の感情そのものの自覚が難しい場合は、369を検討。
1と8とではここが真逆になるのかなと思った。
8は自分の感情やどう感じているかは非常に自覚的だ。自分の価値観が明確でなければ、それを元にどう感じているかを自覚することさえ難しいと思う(=Fiの発達が必須)。しかし、なぜそう感じているかわからないことがある。ここが8はTiがマイナスに出ると言われているところか。
たとえば、他人の権利が侵害されたときに私は反射的に反応する(Fiの性質と重複)。なぜ反応するのかと言われると、一瞬戸惑う。リソ本にもあるように本能的な反応。私がそう感じたからそうしたんだよ! くらいのめちゃくちゃな答えが返ってくる場合も。
NTJの場合、Fiを通して他者を見てることにより2統合に向かうと思う。相手がどう感じているのか、なぜそう感じているのかを(こういうところでTiが出る)自分なりに掘り下げ、その人に共感を示そうとする。こうされると自分は嬉しい、相手は? と。
8の場合、感情は感情として感じる。思考から切り離されている。プロセス的には感情→思考。反応型。
そもそも怒りの論理性という視点を持ったことがなかった。感情なんだし、支離滅裂なところは誰しもあるよね、みたいな。
ここは私も同意。そう見られたいという意識が8にはあまりない。もちろん、社会的なマナーには気を使ったり、最低限の礼節を守ったりはするが、こう見られたいからこう振る舞うがメインにはならない。
【4/9追記】
そうすることによりやっぱりそうなんだと安心を得たい場合は6を検討。
8は自分のことは自分でやりたがる。最初こそ他者発信の情報を参考にしたりはするだろうが、それを踏まえて自分の感覚とどう違うのか、一致しているのかを自分の言葉で説明しようとするはずである。他人に自分の説明を任せるなんて、8は我慢ならないのではないか。
これは常々思う。自分のことなんだから自分の言葉で説明しろ! 8ならできるだろうが! と。
8はそもそも自分の衝動性に気づかない。私の場合は、それが当たり前過ぎて意識しないと自覚できなかった。人から聞かれたので考えてみたという感じ。やはり動機の自覚がしにくい。だからこそ、衝動性を自覚し抑えることが課題になる。
8の説明を見たとき、私はそんなに分析をせず、これ私の悪口じゃねえか!(どの行動か明確にわかる。理由ではなく、あくまで行動そのもの)となった。
8の場合はそもそも1ほど完璧だという感想すら抱かない場合がある。へーで終わる。1の特徴に心当たりすらない。
私は自分のことを丁寧で几帳面だと思っていたので、1がめちゃくちゃ高く出たことがある。自分で自分のことを丁寧だと思っている時点で1である可能性が低そうだ。今考えてみればわかることである。
8は自分の衝動性に自覚がない。嫌なことを言われた防衛反応として怒りが現れるからである。自覚できないくらい自然な反応。
逆に8は意志にものすごくこだわる。相手に意志があるかないかを見て判断を下すことがある。自分の意志で選び取ることに重きを置いている。無意識の意志というものは8にはないのではないか、と思うレベル。なので、無意識で理想を……なんてことはない。
いくら完璧でも殴られたら終わりだと思う。だから殴り返せるくらいの力をつけることが大切だと考える。
これ。逆になんでそんな気になるし目につくの? 苦しくない? と思う。
理想がほんとにわからない。
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