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料理と私~フレンチの四季~

フレンチを作っている私
良くこんな声を耳にする。
四季を感じない。四季は日本の感性である。

私もこの四季を考えるが食べる事についての四季に重きを置く様にしている。

全て食べてもらうこと食事のあり方大切さを料理を通じて楽しんでもらいたいからである。

とりあえず皿は真っ白な状態で戻って来るのが理想的だ。

食べ物にも命があるその命の大切さも料理から受け取って欲しい。

食べ物がなければ人は生きて行けないのだから。

私たちはそういう点では命を扱う仕事だ。

だからこそ細かい気を使うのだ。
それに美味しさと美しさと技術というエッセンスを加えて、

幾らそう言って作っていても食べる方に伝わってなければ私たちのただの自己満足にすぎないと感じる。

凄いって何がどうすごいのって感じだ

感じ方も人それぞれ違う。
万人受けすると言う言葉があるが果たしてそれは本当なのか?
その言葉はいったい誰が作ったのだろうか?
作った人に聞いてみたい。

本当に1人1人に聞いたのかって…

だからこそ料理は奥が深く楽しいのだ。

食べる方の状態で味が変わり
造り手の心境や状態で味も変わる。
料理は常に生きてないと行けないのだ。

初めてその言葉では表せない部分の共有こそが食事の大切さだ。

例えば同窓会や会社のパーティがあったりする。

中の1人がこれは嫌いだと言い出してしまえばこれが好きなひとはどんな気持ちになるだろう。

それだけ考えてもその場は楽しいと言えるのかなって思う。

だから人間関係もあの人は好きだ嫌いだなどと言う事が出てくる。

食べ物も同じだ弁当の端に残されたトマトやパセリ
ピーマンは
どんな気持ちだろう??

きっと発言できる人間なら分かるはずだ。

私は基本嫌いなものも乗せる。

先週来たゲストは野菜が苦手だと言っていたが完食して食べてくれた。

それは野菜の本来の美味しさに気づいたから。

私たちの仕事はそーゆー面でも意思が大事だ。

野菜が美味しかったと言われるとなお嬉しい。
肉や魚は鮮度が良く良いものを使っていれば基本腐ってない限り美味しいのは大抵わかる!

野菜は食べられることも無いものもある。
だからこそ野菜を大切に考えてメニューを考えている。

うちの魅力はやはり野菜だ。
野菜から成り立つ甘味や酸味

調味料は厨房にない。
家庭にもあるお醤油や酒味醂
塩コショウ・ワインとバターくらいだ。

シンプルの中に素材を活かすかを考える。

それが楽しいのだ。

見た目も大切だ。しょぼく見えるからと言って沢山のせればいいと言うものでは無い。
ひと皿の中に主役があり脇役があり縁の下の力持ちもいる。それが力を合わせた時が大切だ。


今日はここまで

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