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平和への祈り ー『君たちはどう生きるか』 考察・感想0827ー

1. 前提

(ア) 非常に抽象度が高く、何十年かけて咀嚼してみたい作品だと感じた。主人公が「大きくなったマヒトへ」と書かれた『君たちはどう生きるか(吉野源三郎)』の書籍を手にするシーンのように、本作品は我々に向けて「大きくなった君たちへ」と宮崎からプレゼントされた作品とも捉えられできる。その解釈する過程、自分が何を感じるか(作品を鏡としてどう自分を投影するか)が重要と考えたため、一旦作者の意図や妥当性のある共通解釈の記事などには目を通さず、下記の考察を作成。従い、事実関係や、作者の意図が明確な部分との齟齬(解釈としての明らかな「誤り」)もあると思うが、ご容赦頂きたい。

(イ) 公式のパンフなどの製作者・作者によるインタビュー、宮崎駿自身のこれまでの著作や記事などは、どこかのタイミングで読むことを考えている。また恥ずかしながら『君たちはどう生きるか(吉野源三郎)』を中学以来読み直しておらず、それを読むともう少し見通しが立つと思っている。

2. 前提となる解釈 20230827時点

(ア) 映画館という教会で、宮崎駿という聖職者による、死生観に纏わる宗教講話を聴いているような感覚を覚えた。主人公が旅した「現世でない世界」は、冥界のモチーフが一部含まれている

  • 元にいた世界に戻るor戻らないの話は、現世で生きるか、生きないか、という話と解釈した。

    • ナツコさんが森に入ったことは、出産のときに母体が死に瀕していたのではないか。直前にお父さんからも「具合が悪いようだ」とセリフあり。

    • ナツコさんが「戻りたくない」と初めて主人公と石の塔で会った時に言っていたのは、現世での人類の愚かさに嫌気がさしていたから?

  •  初めの海の国は、地獄がモチーフではないか。

    • 「後ろを向くな!」のシーンは、ギリシャ神話でオルフェウスが冥界から妻エウリディケ取り戻しに行く話を連想させた。

    •  キリコさん「ここの世界では死んでいるものが殆どだ」。死にそうなペリカン「ここは地獄だ」

    • 門の入り口に刻まれた“fecemi la divina potestate”は、ダンテの『地獄門』の一節(と友人に教えてもらった)

  • 大叔父様がいるところは、天国がモチーフではないか

    • 描写も天国のような描写だし、インコの部下にも「ここは天国だ~」と言わせていた。

  • 宮崎駿としては、「それでも現世で生きる」ことを選ぶことを伝えたいのだと感じた。

    • 主人公も、ナツコさんを元の世界に戻すことを最初からずっとこだわっていた。

    • 大叔父「あの少年は良い少年だ。元の世界に戻らなければならない

(イ) 石のタワーは、時空間の結節点であり、「現世以外にも(現生の人が近くできないだけで)いろんな世界が存在しており、実は気軽に行き来することができる」「多様な生態系があり、人類が生態系の頂点に立つのは偶然であり謙虚に生きねばならない」ということを伝えたかったのではないか。

  • アナザーワールドでは王にまで上り詰め人間を食っていたインコが、現世では普通のインコになるシーンは、そうした食物連鎖ピラミッドの恣意性を示唆していたのでは。

(ウ) アオサギは主人公の悪意・醜さが実体化されたものであり、初めは打倒対象、最後は友達、というストーリー

  • 「母親はまだ生きてますぜ」というのは、母の死を受け入れられない主人公の願い。

  • アオサギの羽を付けた矢でないと倒せないのは、自分の中にある悪意を倒す(折り合いをつける)には、自分の中にある悪意と同居しないといけないことの示唆ではないか。

  • アオサギの中から出てくる醜いおじさんの描写も、醜さそのものを暗示。


3. テーマ1「母の死をどう受け入れるか」

(ア) 「母は火の神であり、病院の炎では苦しんで死んだのではなかった。別の世界で元気に活躍しており、時に現世に新しい生を送り込む手伝いをすることで、現世と繋がっている(c.f. わらわらが天上に登り、現世での新たな生となることが説明されるシーン)」と認識することは、マヒトにとって、度々夢に出た「マヒト助けて!」の呪縛から逃れられる解釈と言える。

(イ) 最後に「ナツコ母さん」と新しいお母さんを受け入れるところも重要。

(ウ) 鑑賞者としては、「現世では色んな死や別れがあるが、悲しみ過ぎる必要はない。だが現世で生きることは尊い」とメッセージをくみ取れるのでは。

4. テーマ2「自身のうちにある悪意と共に生きていくこと」

(ア) 石で頭を傷つけたのは、いじめっ子からの干渉を避けつつ、かつ自分は黙秘を貫く大人の解釈に任せることで、自分は嘘をつかずにそれを実行するという、それなりに卑怯な手段。終盤に「これは僕の悪意の印です」と大叔父に見せるシーンも印象的。

(イ) アオサギと共に旅し、最後は友達になることは、自身の中にある悪意を抱きしめて生きていく、というメッセージを伝えたかったのでは。

(ウ) キリコさんも頭に傷があり、マヒトに特別なものではなく、人に共通の話であることも示唆されているのでは。

5. テーマ3「平和への祈り ―アニメーションの世界と、現実世界で生きること―」

(ア) 本作品は、多くのこれまでの宮崎駿作品との共通性、共通テーマを感じ、集大成的な作品

  • 神の世界・自然の中にいる神・戦後日本・戦争体験の継承・「母」・主人公は子ども,など。

  • キャラクターも、ヒミと魔女の宅急便のメイやトトロのキキ、ばあさんたちと千と千尋の婆など。

  • 描写も、主人公が走るときに一旦尻餅をつくとか、階段を子供が駆け上がるときに両手両足で駆け上がるとか、直前に観た「風立ちぬ」との細かな共通点も見られた。航空機の工場なども同様。

(イ) 大叔父様が、最後に「世界の隅々を旅して見つけた、悪意のない13の積み木」と話すシーンは、(数え方によるが)これまでの宮崎/宮﨑駿が監督を務めた長編アニメ映画作品の数の13作品と一致している。最後の積み木を積み上げる役割を継ぐか、元の世界に帰るかを選択させるシーンは、宮崎自身がアニメ作品制作を通じて行ってきた営みを継ぐか、現実に生きるか、の二択であり、作品を通じて、後者を選んだのではないか。
すなわち、現世と別の豊かな世界を創造するアプローチではなく、現世でどう生きるかを考える道を選ぶ主人公は、監督を引退するときの宮崎の心境と重なる部分があり、また観客にも「君たちはどう(現世で)生きるか」ということを考えてほしいと伝えたかったのではないか。

(ウ) また吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は1937年と戦前の出版。宮﨑の共通テーマである戦争体験の継承を考えると、この映画の公開期間が8月に被っていることも踏まえ、「君たちはどう(”戦争に向かいつつあるこの国で”)生きるか」という問いも投げかけたかったのではないか。

(エ) いずれにせよ、最後の「君が(君たちが?)豊かな世界を作ってくれ」が、平和な世界への祈りを込めて、宮崎が一番伝えたかったメッセージであると感じている。

6. その他、感想

(ア) 過去の宮崎作品の集大成、としてこの作品を捉えたときに感じたこととして、作品を作り出すもの姿勢として、自身が取り組みたいテーマを切り口を変えながら取り組み続ける、というのはアリなのではないかという発見があった。
映画に限らず小説家なども含め、多くの作家は、多様な主人公やシチュエーションで作品を作り続けることができ、その能力は作家として不可欠のものであるが(自分の体験に基づいた一つのテーマ、一つの切り口しか書けない作家をあまり見たことがない)、自身と切っても切り離せない一つのテーマを深掘りし、表現・創造続けることで到達できる領域があるのではないか。

(イ) 教育に携わる者として、宮崎作品の主人公は子どもが多い、という点は示唆深い。世界の複数性を腹落ちさせられるか(人間至上世界の傲慢さに染まっていないか)、自身の変容可能性がどの程度あるか、という観点から、主人公は子どもでしか成立しなかったのではないか。
大人が持っていないものを子どもは持てており、我々はそれをもっと大事に生きていかねばならないのではないか。

(ウ) 主人公は世界の救世主ではなく、誰もが認識で世界を作っており、だれもがこの映画の主人公であり得る、という印象も受けた。
すなわち、我々一人一人が「見えない世界も含めて、世界をどう認識し、どう生きようとするか」を考え、集積させることで、世界平和への道筋をつけようと、彼自身祈っているのではないか。

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拙稿にお付き合いいただき有難うございました。
色んな方との議論の中で、また新しい発見を楽しみつつ随時改稿できればと思います。


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