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【記憶の街へ#12】影の向こうの彼女

(2074文字)

高校を卒業してしばらくバンド活動をしながら、アルバイト生活をしていた。
それに見切りをつけてデザインの専門学校の二部に入学したのが22歳のとき。
ボクのようにアルバイト生活からデザイナーを目指すやつもいれば、高校卒業してすぐに入ったやつに、大学を卒業してから入ってきたやつもいた。
年齢はバラバラで、それが逆に刺激的で面白かった。

ボクはプロダクトデザイン科だったが、一年生の半分までは基礎的な内容ということでインテリアデザイン科と一緒の授業が多かった。
その中でいつの間にか気の合う友達ができ、10人くらいのグループになっていた。
そこにいたのがMだった。

彼女は大学を卒業してから入学してきたので、当時23歳だったと思う。ボクより1歳上だ。
あの頃流行のショートのソバージュで少し明るめの髪の色。
そのイメージ通りに明るい性格で、どこか抜けたところがあって、ボクはいつもからかっていた。
ただ、少しだけ彼女に何か影を感じた。
いつも笑顔で接しているが、どこか寂しさを抱えているような。

ボクたちのグループはよく飲みにも行ったし、車を連ねてドライブにも出かけた。
みんなで飲みに行った後にカラオケに行くことも多かった。
彼女は決まって、山下久美子の「バスルームから愛を込めて」を歌った。
それが少し舌足らずな声にマッチして好きだった。
時にはボクからリクエストした。
恥ずかしそうに「え〜」と言いながら、いつもリクエストを受けてくれた。

ドライブといえば、栃木か群馬に出かけた時だったと思う。
帰りは学校がある東京の中心部で解散予定だったが、そこまでどの道を通るのが一番早いのか判断が難しい。当時はスマホなんてなかったし、カーナビもあったかどうか。なにしろ30年以上前だからね(自分で書いていて、あまりの時間の経過に驚いた)。
みんなで地図を眺めながら考えていたが、ボクはふと思いつき、キャノンボールをしようと提案した。
車は3台、通る道はそれぞれで良い。そしてどの車が一番早く学校に着くか。
何かを賭けたかどうか覚えていない。
ただ、盛り上がった。
信号待ちをしていると、友達の車が目の前を横切っていく。
「あっちの方が早かったか!」
悔しがるみんなは笑顔だった。
結局、どのチームが勝ったのかも覚えていない。
そんな感じで、あれはボクにとって青春の1ページだったと言える。ちょっと恥ずかしいけど。

男と女が半分ずつくらいのグループだったが、ボクがいつも気になっていたのはやっぱりMだった。
好きだったのかと聞かれると、はっきり好きだと言い切れなかった。
ただ、気になっていた。
それは彼女が持つ影だった。
一番仲の良かった男友達のKには告白しちゃえよと言われた。
「絶対イケるよ。そんな影なんてないって」
軽い気持ちで「付き合おう」と言ってみても良かったかもしれない。
そうすればその影があるのかないのか、はっきりしたと思う。
しかしボクは言えなかった。
どうしても、彼女は何かみんなから線を引いているように感じた。
そしてそれを超えて踏み入れてはいけない気がしていた。
結局、ボクたちは卒業してそれっきりだった。

2011年、東日本大震災が発生した。
当時、津波被害のあった被災地に支援を行っていたボクは、支援者たちとの連絡手段にFacebookを使っていた。
そのアカウントに、久しぶりに見る名前からダイレクトメールが来た。
Mだった。
その後、ボクたちはメールを何度かやりとりし、近況を話し合った。

Mは結婚して子供はふたり。
上の女の子は高機能性発達障害で、コミュニケーションがうまく取れず、イベント事には母親の付き添いが必要だから大変だと言っていた。
しかし勉強は普通のレベルでできるので、ただ甘やかしているだけだと思われがちで、理解されないことに苦しさも感じていた。
さらに、夫もあまり協力的ではなく、彼自身の発達障害の可能性もあると。
辛さが伝わってきたが、ボクには何も手助けできないのが心苦しかった。

やり取りの中で、ボクはあの時彼女に感じていた「影」について話してみた。
あの頃と違って、ただ素直にそのことだけを聞くことができた。
すると彼女から帰ってきた答えは、その頃、死ぬかもしれない病気だと告知されていたとのことだった。
だから、誰とも付き合わないように、線を引いていたという。
ボクが感じていた影はそれだった。
幸運にもその後、完治することができた。

「そういえば、とーと君って、いつも何か遊びを考えてたよね?ドライブに行った時のキャノンボールとか。この人は遊びの天才だなって思ってたよ」

そんな文面が帰ってきた時、はっきりとは分からないけど、少なからずボクに好意はあったんだなと感じた。
しかし、ボクも彼女もその線を、影を、乗り越えようとはしなかった。
それが全てだ。
好きだという気持ちがあったとしても、怖さを乗り越えることはできなかった。

その後、ボクたちは数回年賀状をやりとりし、それも途絶えた。
今はもう、連絡先も分からない。
発達障害を抱える彼女の娘さんも二十歳を超えたことだろう。
彼女とその家族が幸せであって欲しいと思う。





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