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【ショートショート】十二月の街で

#シロクマ文芸部
お題:十二月
文字数:2265文字

十二月だということを、カーラジオから流れるパーソナリティのオープニングトークで思い出した。
「そうか、12月1日か。だからか」
いつもより車が多いとは思っていたが、街中の大通りに入ると大渋滞で、先ほどから数メートル動いては長い間止まるを繰り返し、ついに動かなくなった。
少し前まで残っていた夕焼けの薄明りもすっかり消え、大通りは車のベッドライトやビルからの光が洪水のように溢れている。
街路樹と遊歩道を挟んだ反対車線も全く動く様子がない。

ーーところでルミちゃんはさ、今日から始まるイルミネーションは誰と行くの?
ーーーえー、私ですかぁ?内緒です。

ラジオからはそんな会話が流れてきた。
そう、この街の大通りでは、12月いっぱい街路樹がイルミネーションで飾られ、1日の今日が点灯式なのだ。
「失敗したぁ」
カズキは思わず独り言を漏らし、動かないテールランプの群れを眺めながら、ハンドルを指でトントントンと叩き出した。
そうと分かっていれば街中を迂回したのに。
そういえば、しばらくこのイルミネーションを見に来てないな。最後の来たのはいつだっけ。結婚前だから、もう5年か。
お互い30歳を過ぎて、責任のある仕事を任されるようになり、時間的にすれ違うことが多くなってきた。
夕食は別々に済ませることが多く、休日もどちらかが仕事という日が少なくない。
気持ちもどこかすれ違っているようにも感じる。
「倦怠期か」
カズキはそう呟きながら、ハンドルを抱えた腕に顎を乗せた。

「今日は早く帰ってこられる?」
朝食の後、ミキが先に出かける用意をしているカズキの背中に問いかけた。
「ごめん、ちょっと分かんない」
ネクタイを締めながらミキの方を向かずに答えるカズキに、
「話したいことがあるんだけど」
とミキは少し頼むように言ったが、
「ごめん、わかんないんだよ。連絡するから」
と、カズキは苛立ちを隠しきれずに答えて玄関へ急いだ。
背後でミキの何か言いたそうな雰囲気を感じたが、考えないようにして家を出た。

嫌いになったわけじゃない。今でも愛している、はずだ。
そう自分の気持ちが分からなくなるくらい、毎日に追われている。だけどその疲れをミキに見せたくない。なぜだろう。心配をかけたくないのか、弱さを見せたくないのか。
しかし、そう思えば思うほど、少しずつふたりの距離が広がっているように感じる。時々、ミキが何を考えているか分からないと感じることがある。
「そういえば、話したいことってなんだ」
カズキはようやくミキの言葉を思い出した。
「もしかして、離婚か」
いや、それはないとカズキは自分の考えを打ち消した。
数は少なくなったものの、夫婦のコトだってなくなったわけじゃない。最後はいつだっけ?秋になっても暑いとか言っていた頃だったっけ?

突然、窓の外から歓声が聞こえた。街路樹の遊歩道を埋め尽くす人たちがカウントダウンを始める。

3、2、1、ゼロ!

その瞬間、街が温かみのある電球の色で包まれ、闇と寒さを吹き飛ばした。歓声は一段と大きくなった。

ーー時刻は午後6時をまわりました。イルミネーションも点灯した時間ですね。はい、それではここで、僕が一番好きなクリスマスソングをお届けしましょう。クリス・レアで、Driving Home For Christmas.

結婚前、この時期になるとミキとよく聴いた曲だった。
「この曲って、なんか優しい気持ちになれるから好き」
ミキはそう言っていた。
ラジオのボリュームを上げると、外の音は聞こえなくなり、イルミネーションを眺める人々の楽しそうな気持ちが流れ込んでくるようだった。
肩車をされて両手を広げる子供、腕を組んでイルミネーションと相手の顔を交互に眺める恋人たち、黙ったまま、しかしにこやかな顔で歩く老夫婦、集合写真を撮る学生たち。
どの顔もイルミネーションの暖かな灯りに照らされている。
それぞれに人生があり、辛いことも悲しいこともあるけれど、今はただ笑顔を交わして楽しんでいる。

プッという後ろからのクラクションに慌てながら、カズキはパーキングブレーキを解除して車を前進させると、ウインカーを出して路地へ入り、ハザードを点滅させて再び車を止めた。
電話しても大丈夫?とLINEをすると、すぐにミキから電話がかかってきた。
「どうしたの?」
「あ、いや、今朝はごめん」
「なにが?」
「ちょっとイライラしちゃって」
「ああ、気にしてないよ」
その言葉にカズキは少しほっとした。
「仕事は終わった?」
「もう終わるところ。カズくんは?」
「俺も終わりにして直帰って連絡するからさ、久しぶりにふたりで何か食べに行こうよ」
「いいね。じゃ、久しぶりにあのイタリアンがいいな」
ミキの提案した店は、ちょっと値は張るが、カズキがプロポーズした思い出の店だった。
「了解。そういえば今朝、話したいことがあるって言ってたけど」
「それは、あの店で話したい」
遮るようにそういうミキの声を聞き、ほんの少し間を置いてから、
「分かった。じゃ、会社の前まで迎えに行くよ。5分で着く」
そうカズキは答え、
「りょうかーい」
というミキの声で、ふたりは電話を切った。

「まったく、鈍感よね」
スマートフォンの画面のおどけたカズキの顔を眺めながら、ミキは少し笑った。
「何がですか?」
隣の席の後輩が聞いてきたので、ミキはなんでもないと答え、
「じゃ、お先にね」
と言ってオフィスを出た。
下に降りるエレベーターの窓から、大通りのイルミネーションが見えた。
食事が済んだら、久しぶりにあの下をふたりで歩こうって言おう。
ふたりで歩くのは、これが最後になるんだから。

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