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【エッセイ】思い入れが強いと自滅する

(912文字)

先日、飲食店を何店舗も経営する社長と話をしていた時のこと。
「思い入れが強いと自滅することもあるからね」
社長はそう言った。

新メニューの撮影に行くと、撮影した後の料理を試食して意見を求められることが多い。
その時に、撮影する新メニュー以外の料理が出てきて意見を求められた。
それはある地方の郷土料理をもとにアレンジされたもので非常に美味しかった。

「でしょ?良いと思ったんだけどね、あまり出なかったから、それはやめることにしたんだよ」

板前さんとその地方に行った時に食べて、こうしたらもっと美味しいんじゃないかと盛り上がり、完成させたメニューだという。
ところが、何が悪かったのかあまり出なかった。
ちょっと分かりづらかったのかもしれない。
社長もその板前さんも思い入れのあるメニューだったので惜しかった。
そして前述のセリフ。

飲食店の場合よくある話のようで、思い入れが強いからとラインナップに残しても良いことはないという。
そのメニューのための仕入れがあったり、メニューの枠を潰すことになるし、なにしろ次へ進む勢いが鈍る。
お客さんが求めるものではなく、こちらの思いばかりを差し出していても受け入れられない。
その結果、経営は悪化し自滅する。

その話をしていて、上手くいかない個人経営の飲み屋やカフェの話になった。
彼らの多くがそこに囚われているという。

「気持ちはわかるのよ、痛いくらいにさ。夢があって、理想の店があって、それを実現させたけど、お客さんの支持を得られない。そりゃ悔しいよね」

その言葉に思い当たる店がいくつかあった。
脱サラして夫婦で始めた店に多い気がする。
店やメニューに対する思い入れが強いのは良いけど、お客さんがそれを求めるかどうかは別の話だ。
悲しいけどね。

そうやって話していて、ボクはふと思った。
これって、小説を書くことに通じるかも、と。
小説に限らず、何かを生み出すこと全てかもしれない。
その作品に思い入れがあるほど次に進めない。
早くその世界から抜け出して、新しい世界に進んだ方が良い。
そうやって進んでいって振り返った時、思い入れが強かった作品が稚拙に見える場所にいなければならない。

結局、自分の道を邪魔するのは自分なのかもしれない。

※写真は本文とは関係ないけど、鳥海山の秋の千畳敷。草原が広がる大好きな場所です。

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