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【短編】ありがとうへの長い1日/#シロクマ文芸部

お題:ありがとう
文字数:5110文字

「ありがとう!サンタさん!」
12月24日の朝は、娘の優花の喜びの声で始まった。
隆彦はその様子を嬉しくもあり、なんだか悔しいような複雑な気持ちで眺めていた。
「良いじゃない、あんなに喜んでるんだから」
「まぁ、そうなんだけどね。でも頑張ったのはオレなんだけどなぁ」
隆彦はそう言って笑った。

12月23日は長い1日だった。
「買った?」
営業車を運転しながら、かかってきた電話に出ると妻の美佳だった。
「何を?」
「何をって優花のプレゼント!アンパンマンパソコン!」
車のスピーカーから美佳の怒気を孕んだ声が響く。
「あー、まだだけど大丈夫、大丈夫。買って帰るから」
「まだなの?もう23日だからね!今夜、枕元に置いておくって話したよね?」
「分かってる、分かってる。大丈夫だから」
「ホントにお願いよ!」
そう言って美佳は電話を切った。
再び車内にラジオ番組が流れ、すぐにクリスマスソングになった。
忘れていた訳ではない、頭の片隅にはずっとあった。しかし、まだ2週間もある、まだ1週間もあると先延ばしにしているうちに、クリスマスイブの前日になってしまった。
それでもまだ隆彦は焦っていなかった。
郊外のショッピングモールのオモチャ屋で買って、ついでにフードコートで遅い昼食を済ませようと思っていた。

「ねぇ、おとうさん、サンタさんにこの手紙を渡して欲しいの」
その日、家に帰ると、幼稚園の制服を着たままの優花が玄関に駆け寄ってきて、小さく畳んだ紙を隆彦に渡した。
開いてみるとそこには、
ーーサンタさん、アンパンマンパソコンをください
そう書かれていた。

隆彦が風呂上がりのビールを飲みながら、夜のニュース番組を見ていると、優花を寝かしつけた美佳が子供部屋からリビングに戻ってきた。
「クリスマスプレゼントがアンパンマンパソコンって我が娘ながら偉いわよね。遊びながら勉強できる」
「パソコンって高いんじゃないの?」
「いやいや、パソコンっていったって半分オモチャよ。まぁ、普通のオモチャより高いけど」
「いくら?」
「2万円くらいだったかな?」
ビールを飲み干しながら、幼稚園児のクリスマスプレゼントにしては高いなぁと考えていると、それを見透かしたように美佳が言う。
「教材とオモチャを一緒に買ったと思えば安いものよ。じゃ、ネットで買っちゃっても良いよね?」
頼むと言いかけて隆彦は「ちょっと待って」と、立ち上がった美佳の袖を掴んだ。
「やっぱり俺が買ってくる」
「なんで?ネットで買った方が早いじゃない。届けてくれるし」
美佳がもう一度、ダイニングテーブルの向かい側の椅子に座る。
「んー、なんて言うかさ、娘のためにクリスマスプレゼントを買ってくるお父さんがやりたいって言うか」
「どういうこと?」
「ネットで買って届けてもらうよりもさ、自分で買ってきて、それをそっと枕元に置いてやった方が、俺自身の思い出にも残る気がするんだよね」
美佳はそれを聞いて少し考えているようだったが、
「分かった。でもちゃんと間に合うように買ってきてね」
そう言うと「お風呂入ってくる」と立ち上がった。
バスルームに向かう妻の背中を眺めながら、なんだか自分が良い夫であり父親であるような気がして、隆彦はひとり悦に入った。

「え?売り切れ?」
「はい、アンパンマンパソコンは人気商品でして」
一瞬、店員の女性の声以外の音が聞こえなくなったような気がして、隆彦はサッと血の気が引くのが分かった。
「念のため、駅前店の方に在庫があるか見てみましょうか?」
「お、お、お願いします!」
レジカウンターに向かう店員の後ろにすがるように隆彦も移動し、カウンターのガラスケースの上に身を乗り出して、店員がパソコンを操作するのを見ていた。
「あー、やっぱり駅前店もないですね。申し訳ありません」
オモチャ屋を出て、クリスマスソングが流れるショッピングモールの広い通路を、重い足取りで歩きながら考える。
確か、町の北の外れのバイパス沿いに、オモチャの大型店があったはず。
ここは町の南。この師走の車の混み方だと1時間はかかるかもしれない。
時刻は午後2時半過ぎ。
仕事どころではない。
隆彦は車に向かいながら、訪問する予定だった取引先に電話をする。
「はい、申し訳ありません、明日必ず伺いますので」
そして最後に会社に直帰の連絡をすると、北の大型店に向かった。

12月の午後3時半は、うっすらと宵闇が迫りかけていた。それなのに、見えてきた大型店の看板には灯りがついていない。
隆彦はなんとなく嫌な予感がした。そしてその予感が正しいことはすぐに証明された。
大型店は店構えだけを残して空っぽで、テナント募集の貼り紙がされていた。
そう、閉店してしまっていたのだ。
こうなったら小さくても良いから、片っ端からオモチャ屋を回るしかない。
隆彦がスマートフォンの地図で市内のオモチャ屋を検索すると、出てきたのは市街地に近い商店街のオモチャ屋と、さっきまでいたショッピングモールのさらに先、隣の町に入る手前にあるオモチャ屋だけだった。
しかしその二軒を回ってもアンパンマンパソコンは売っていなかった。

時刻は午後5時。いつの間にかあたりはすっかり暗くなり、バイパスを走る車全てが家路を急いでいるように見える。
隆彦は車に戻り、ハンドルに額をつけて考える。クリスマスには間に合わないけど、今からでもインターネットで注文して、美佳には正直に話して謝るか…。
いや、隣の町にも大型店があったはず。
隆彦は同じ轍を踏まないようにスマートフォンで検索し、営業していることを確認して車を走らせた。
しかし年末のバイパスは大渋滞で、なかなか進まない。いつもなら30分あれば着くはずが、まだ半分も来ていない。
苛立つ隆彦の気持ちとは裏腹に、車はついに動かなくなり、バイパスはまるでテールランプの海になった。
「参ったなぁ」
思わず独り言が口を突く。
ふと、反対車線の向こうを見ると、古びた建物の明かりが消えた看板に「おもちゃ」と書いてあるように見えた。
店の中には明かりが灯っている。営業していないとしても人はいるということだ。
隆彦は一か八かにかけることにして、Uターンして反対車線に入り、その店の前に車を止めた。

二階建てでモルタル造りの古びた四角い建物。
看板には「おもちゃ」とだけ書かれていて、その左右にブリキのロボットやオモチャの兵隊の絵が描かれている。
昔は日本全国にこうした個人経営のおもちゃ屋がたくさんあったが、今はあまり見かけなくなってしまった。
店内を覗くと、入口付近の明かりは消されているが、奥の方の明かりだけがフワッと灯っていて、そこに人影が見えた。
入口のガラスのドアを押してみるとカギはかかっていない。隆彦は祈るような気持ちでドアを押し開き、店内に入った。
「ごめんください」
声が届かなかったのか、奥にいる人物の反応はなく、背中を丸めて何かの作業を続けている。
隆彦は数歩前に進んで、今度はもう少し大きな声で「あのう、ごめんください」と声をかけた。
すると店主は隆彦に気がつき、こちらを向いて立ち上がった。
恰幅が良く丸みを帯びた体型、白いワイシャツにノーネクタイで茶色いベスト、ズボンもやはり茶色で、いまや懐かしいコーデュロイの生地。それをサスペンダーで吊っている。
昔の西部劇に出てくる商店主のような格好だが、サンタクロースの帽子に白い髭を付けている。営業時間が終わって、サンタの衣装だけを脱いだということか。
「どうされました?」
追い返すような第一声でないことに隆彦は少し緊張を解いた。
「営業時間外に申し訳ありません。実は子供のプレゼントを探してまして、どこも売り切れで困ってたんです」
「そうですか、それで何をお探しですか?」
店主は二、三歩、隆彦の方に歩み寄って訊いた。隆彦も男に歩み寄って答える。
「はい、アンパンマンパソコンなんですが」
「ああ、あれは人気ですからな。今は当店にも在庫はありません」
「そうですか」
店主の答えに隆彦は肩を落とし、礼を言って去ろうすると、
「あ、でも大丈夫ですよ。すぐに取り寄せることができますから。ちょっとだけ待ってくださいよ」
店主はそう言って、壁にかかっている古いびた白い電話の受話器を耳に当てた。
「すぐに?」
隆彦は少し疑問に感じながらも店主を見守った。
「ああ、もしもし、私だけど。アンパンマンパソコンを持って来て欲しいんだが。そう、すぐにだ。お客さんがお待ちなんでね」
店主はそこで隆彦の方を向いてニコリと笑った。
「じゃ、頼んだよ」
そう言って電話を切ると、
「すぐに持って来ますから、座ってお待ちください」
と隆彦に丸椅子を差し出した。
「ありがとうございます」
隆彦は礼を言いながら丸椅子に腰をおろした。こんな小さな個人店に、すぐにどこから持ってくるのだろうという疑問は消えなかったが、信じて待つしかない。
店主はコーヒーをサーバーからカップに注いで隆彦に手渡した。
「ありがとうございます。では遠慮なく」
隆彦はコーヒーカップを両手で受け取り、ひと口啜った。
「あちこち探したんですか?」
「ええ、それはもう。町の南から北に行って、駅前の方から小さなおもちゃ屋も回って。それで隣町のここまで来て、こちらのお店を見つけたんです」
隆彦はこの苦労を誰かに聞いてもらいたいと思っていたのか、少し早口になって答える。店主はその様子を笑顔で受け止めた。
「それにしても、こんなところに、あ、失礼。ここにおもちゃ屋があるって初めて知りました。いつ頃から営業されているんですか?」
店主はコーヒーをひと口飲んで、少し考えるようにして答える。
「私の祖父の代からですから、そうですねぇ、60年くらいになるのかな」
「そんなに前からですか。この前のバイパスは何度も通ってますが、気がつきませんでした。すいません」
「そうですか。まぁ、それももうそろそろ終わりですよ」
「終わり?」
「ええ。もう皆さんお買い物はインターネットですからね」
なるほど、確かに。本当なら隆彦だってインターネットで買っていたはず。便利な世の中になると同時にこうした店がなくなっていくのか。
「お疲れ様でーす」
待ち始めてから10分くらいで裏口のドアが開き、トナカイのコスチュームを来た若い男性スタッフが、大きな紙袋をぶら下げて店内に入ってきた。
「ああ、ご苦労様」
店主がその紙袋を受け取ると、若いスタッフは、
「明日の配達、頑張ってくださいね」
と言って、すぐにまた裏口から出ていった。
その後ろ姿に軽く手を振ると、店主は紙袋を隆彦に手渡した。
立ち上がってそれを受け取った隆彦が紙袋を覗いてみると、そこには確かにアンパンマンパソコンの箱が入っていた。
ようやく安堵した隆彦は力が抜けたように、もう一度丸椅子に腰を落とした。そして、なぜだか笑い声が込み上げてきた。
「ハハハ、ありがとうございます。本当に助かりました!」
「それは良かった。お子さんも喜んでくれるでしょう。早く帰ってサンタクロースの大役を果たしてください」

店を辞して、車を家路に向かって発進させるとスマートフォンが鳴った。画面には美佳の文字。
「もしもし、美佳?やっと買えたよ。心配いらないから。もうすぐ帰るよ」
隆彦は満面の笑顔でそう答え、美佳の安堵する声を期待したが、
「もうすぐって今どこにいるの?!」
という心配と怒りが混ざった声だった。
「隣町だよ。なんだよそんなに怒って」
「なんだよって、今何時だと思ってるの!」
「何時って」
隆彦が車の時計を見ると、針は11時30分を指していた。
「え?」
あの店に入ったのは午後5時半頃だった。それから30分も経っていないはず。それなのに実際は6時間も経ったってことか?
「ずっと電話したのに圏外で心配したわよ。とにかく早く帰って来て」
美佳はそう言って電話を切った。
バイパスの渋滞はすっかり解消されていて、それは確かに深夜の雰囲気だった。
隆彦は狐につままれたような気持ちで家路を急いだ。

結果的に、アンパンマンパソコンは手に入り、優花の喜ぶ顔も見られた。
あの夜、家に帰ると、美佳はただ安堵した表情で、「良かった」と言いながら、久しぶりに抱きついてきた。
隆彦も「ごめん」とひとこと謝って、美佳の腰と背中に手を回した。
しばらく感じていなかった温もりに、隆彦は改めて美佳への愛情を感じた。
それは美佳も同じだったようで、それまで夫婦間に蓄積されていたトゲが一気に流されて行ったように、あれから穏やかな日々が続いている。
今年のクリスマスは、夫婦にもプレゼントをしてくれたようだ。

ただ不思議なのが、バイパスで何度もその辺りを走っているのに、未だにあの店を見つけることができないことだ。


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