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甲子園中止に思うもやもや

部活少女だった私。中学校はソフトボール、高校は弓道。必死に練習するなかで上達する喜び。仲間とひとつの目的に向かう充実感。たとえ試合に勝っても負けても、よい経験をさせてもらったと心の支えになっている人も多いと思う。

このコロナ渦で中学高校総体、甲子園までもが中止となった。「僕たちの命を守るための決断だったと思います。」目を真っ赤にしてインタビューに答える高校球児に目頭が熱くなる。新型コロナウイルス対策について私たち大人がふがいなく、子どもたちの夢を守れなかったことを心から申し訳なく思っている。

でもニュースを見ながら何かもやもやする。特に「甲子園は特別だ!」的な鼻息荒く盛り上がる大人に対しての違和感。

その大人のなかに私がいることを感じる。特に20代後半から30代前半くらいかなぁ。女性として輝かしいキャリア、社会的な成功を目指すこと、デキル女として認められたいという上昇志向のなかにいることにすら氣がついていなかった。

環境にも恵まれ仕事は楽しかったが、走っても走ってもゴールテープを切った実感もなく、次のゴールが設定されてしまう。でもできないとは言えなくて、できるふりをしてまた走る。できない自分を認めるのか怖い。自分が役に立たないと思われることが怖かった。走り続けて、とうとう心が風邪を引いてしまった苦い経験。

『シアワセーってなんだぁっけ、なんだぁっけ。ポン酢しょうゆは・・・』あのCMソングは名曲だといつも思う。一流大学を卒業して大企業に入って・・・。それが幸せの方程式だった時代はとうに過ぎたはずなのに、いまだどこかでブランド志向(信仰)は根強い。「甲子園出場」、「インターハイ出場」、「全国大会出場」。ブランドに近い肩書きや社会的評価を子どもたちに背負わせていないだろうか。

縁もゆかりもないけれど、おばさんはついテレビの中の高校球児に話しかけたくなる。

甲子園がなくなったら、君は君じゃなくなるのかな?

部活をやらない君は君じゃないの?

がんばっていない君は君じゃないの?

いいんだよ、がんばらなくても、がんばっても。

笑っていても泣いていても。

君は君でいてくれればそれでいいんだよ。


言って驚いたが、これは私が一番かけてほしい言葉だった。人からの評価がいまでもとても氣になる私。なかなか変われないものである。



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