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仁平幸春の創作姿勢

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仁平幸春の基本的な文化や創作への考え方です。
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#仁平幸春

私が考える日本的感性とは

私は自分が日本人であるということ、また、日本人の感性をもって制作することを大切にしています。 私が考える「日本的な感性」とは、一言で言うと 「常に緊張感のある調和」 です。 それは非常に洗練された文化だと思います。 融和でも迎合でもなく、もちろん戦いでもありません。その本来の日本人の絶妙なバランス感覚は大変高度なものだと私は思っています。 日本文化の特質はいわゆる「花鳥風月」の「形式」のなかにあるのではありません。 なぜなら、花鳥風月というのは、砂漠なら砂漠の、

私がつくりたい染物とは

私がつくりたい染物とは一言で言えば 「染でしか出来ないことをする」 ということです。 (手染めの場合は手づくりでしか出来ない、ということも加わります) もう少し付け加えるなら 「白生地の時には観えなかったものを観えるようにする」 ということです。 生地素材では絹や麻や綿、ウール、イラクサ、紙、その他いろいろなものがあります。 また糸の太さや撚り、織の組織、さまざまなものがあり、それぞれの魅力があります。 その素材感を、そして、その生地が染められる前には観えな

作り終わった作品は手放すのが自然

私のような仕事では自作に対する「思い」とか苦労して作り上げた自作を手放すことは悲しくないのか、などと良く聞かれますが、 私は、自分で作ったものを手放すことに全く抵抗感がありません。 なぜなら、どんなに小さなものでも、それがちょっとしたエスキースであっても、自分から現実世界に物質として出てきたしまったら、それはもう、そのモノ自体の人格のようなものを持ってしまい、それを生育させるために私は振り回されるからです。それは自分のもの、という感覚を持てないのです。 それはまるで植物

つくりたいものがあって、技法が選択されるのが自然

私は、いわゆる伝統系の染色技法を用いて仕事をしておりますし、工芸における技術は誠実で高度であるべきだと思っていますが、しかし自分が使う技術を「これがホンモノの伝統技術」などという考えは全くありません。 しかし、一般的には、例えば友禅染だったら「これが真糊で染料挿しのホンモノの糸目友禅」などと主張し、まるで真糊友禅であることで、作られた染物の美的価値まで約束されているかのような態度なのが、いわゆる伝統染色の世界です。 (真糊=餅米で作った糊で糸目糊を置いて描いた文様染。本格

美はモノにではなく関係性の間に訪れる

私は 「美はモノにではなく関係性の間に訪れる」 という姿勢で制作をしています。 何かを観る時、関わる時にもそういう姿勢です。 作者とモノとの関係、作品と受け手との関係、受け手と社会との関係、使われる場所、飾られる場所との関係。 美はその関係性のなかに「訪れる」のです。 作品が社会へ発信され、関係性が連鎖することは美の増幅を産みます。 作者の制作意図とは違う美が発見される場合もあります。 それは美は関係性の間に訪れるからです。 何かの理由があって美があるのでは

文様は絵画ではないということ

工芸に分類される仕事は、分野を問わず必ず素材の影響を強く受けます。 それは制約ですが、同時にその分野の特性、魅力でもあります。 私の仕事だと、それを最大限に活かすこと、それを文化的逸脱なく発展させることが「現代行う染と文様」の仕事の価値だと思っています。 それと 「文様は絵画でなく、文様独自の洗練された美しさがある」 と考えています。 現代、プリント技術や染料、機材の発達によって素晴らしい染物が大量生産されている時代です。 また、絵を描くように自由に染められる染