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夢を叶えたいのなら、よそ見して立ち止まっている時間はないよなぁ

今日、友人の「夢が叶った」というツイートを見て、あぁ彼女は自分で夢を叶えたんだなぁと感慨深くなった。

本人は「夢が叶った」という言い方をしていたし、きっと一人の力で叶ったものでもないんだろうけれど、本人の「叶えたい」という気持ちがあったからこその結果なんだと思う。

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人生における「自由に使える時間」というのは限られている。

物心つくまでは自分の意志なんてないし、物心がついても自由に動ける責任も財力もない。親の保護のもとでしか動くことができない。

そこから解放されて心身が衰えて動かなくなるまでが「自由に使っていい時間」だとしたら、私たちには、誰かが救いの手を差し伸べてくれるのを待ちぼうけている時間なんてない。

この肉体と心をもって、自分は何を為したいのか。

成し遂げたい何かがなかったとしても、どんな生き方をしたら幸せでいられるのか。

その目的を達成するために何をすべきなのか。

そう考えたらきっと、「あの人はいいなぁ」とか「あのときこうしていたらなぁ」とか「自分にこんな力があったらなぁ」なんて、よそ見ばかりして立ち止まっている時間はないよなぁ、と思うのだ。

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誰かが夢を叶えたという話の裏側には、誰の目にも触れることのなかった苦しみとか悩みとか迷いとか努力とか、そういうものが必ずある。

だから、そういう報告を聞くたびに身が引き締まるのだ。

私も、自分が為したいと思っていることのために一歩ずつ進まなくは、と。

よそ見をしたり、後ろを振り返ったり、ただぼんやりと立ち止まったり、そういうことをしている時間はないのだよなぁ、と。

ましてや、自分がやりたくないことやストレスにしかならないことをやっている時間はないし、人を妬んだり羨んだり怒ったりといった非生産的な時間を過ごす余裕もない。

前を見て、ときどきは立ち止まって大切なものを再確認して、また前に進むための一歩を踏み出して…

それを繰り返しながら夢に向かって進んでいこう、と改めて思う。


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