見出し画像

【運動できない男子は生きづらい!】体育は科目として破綻している件

いつもは「映画」について書いているが、どうしても話したいテーマなので映画と無関係なことは許してほしい。同じい思いをした人もいると思う。「いいね」「コメント」で共感してください。一人でも多くの同志に「仲間がいる」と思ってもらえたら嬉しく思う

「体育」。恐らくこの科目が好きな生徒は多い。しかし全員が好きなわけではないことを決して忘れてはならない。大多数の人たちが楽しいと感じる体育を苦痛以外の何物でも無いと感じる人もいるのだ。

■どう考えてもおかしい方針

数種目に分かれて授業が進められ、3ヶ月ほどで次の種目へ移る。初めはラケットやバットの握り方、打ち方、から始まる。そしてパスなどの基礎から応用的なことまで取り扱い、後半はほとんど試合をすることになる。どう考えても期間が短すぎるだろ!

これを語学の授業に置き換えて考えてみよう。まず英語、中国語、韓国語、スペイン語、それぞれのクラスに生徒を分ける。英語→中国語→韓国語→スペイン語の順で3ヶ月ずつ勉強することになる。

例えば、英語はアルファベットから始める。次の週には単語を、その次の週には文法を習う。自己紹介や簡単な会話を取り上げた後は、プレゼンテーションやディスカッションを行い、その出来を授業の評価とする。そして中国語へ。それが終われば韓国語…。

果たしてこれで言語が習得できるだろうか。できない。言語が好きな人が増えるだろうか。増えるわけない。語学に置き換えたら、「これおかしいだろ」と思う人が多いと思う。では何故体育だと思えないのだろうか。体育でしてきることも全く同じなのに。おかしいと思っている人すらいない。この事実が悲しすぎる。教育関係のお偉いさん方、よく考えて…。

例示した授業の良くないところは、2つ。1つはゴールをプレゼンテーションやディスカッションなどの難易度の高いものにしたこと。もう1つは、生徒をアビリティでクラス分けしていないこと。

前者に関しては、初めて触れる人も勿論いるはずなので3ヶ月しか期間がないのであれば、ゴールは自己紹介が無難。プレゼンやディスカッションなどの高度なことまで無理矢理もっていく必要は無い。

後者に関しては、複数のクラスを並行して出来るなら、レベル別で分けて実施するべき。レベルに差があるとモチベーションにもギャップが出てしまう。二極化した状況はどちらにとっても良い環境ではない。

これは体育にも言えること。

▷同時に何種目もできるなら、実力でクラス分けを
どのクラスにも、出来る人と出来ない人を含ませる。これは一番良くない。技能、モチベーション共にギャップができると、お互いにとってマイナスでしかない。

▷練習期間に見合った目標設定
さっき話したように、実力でクラス分けをして、上級クラスで高レベルなことをするのは良いと思う。しかしレベルもバラバラ、初心者から上級者までいるクラスで、(あえて言葉を選ばずに言うと)馬鹿みたいにレベル上げて、どうしたらいいか教えられないまま試合して、十分に練習時間もないのにスキルテストして、点数つけられて…。これでスポーツ上手くなりますか?好きになりますか?

■本末転倒?!目的は何なのか?

これは外科医さんのツイート。もうこれが全てです。

▷体育のせいで運動が嫌いになる
例えば虫が嫌いな人に強制的に虫を触らせて、その結果虫のことが好きになると思いますか?答えはもちろんNo。これはスポーツにも同じことが言える。虫の例なら小学生でも分かると思うが、スポーツになると「スポーツ=みんな好き」という謎の方程式が生まれてしまう。

▷体育は運動習慣のため?
体育をなくせば運動習慣がなくなり、身体の健康に良くない。そう考える人もいるかもしれない。ツイートした外科医さんの言うように、運動習慣のために体育をするのであれば、評価すべきは運動技能ではない。「1週間に1日しか運動しない、運動神経良い人」と「毎日運動する、運動神経が良くない人」であれば、後者が高く評価されて然るべきである。しかし体育での評価ポイントは「運動技能」ただそれだけ。「意欲」「関心」「態度」などは形だけで、0.000…何%の世界。言ってることと、やっていることが全く違う。

▷体育のせいでスポーツを避けるように
大学では幸運なことに体育が必修では無くなった。もちろん選択もしないし、金輪際自主的にスポーツをやるつもりもない。苦痛なことをお金を払って、時間をかけてやる必要が無いから。体育という制度が違う形で存在していれば、違った選択を取っていたかもしれない。

■「男子=スポーツができる」=差別

「君らは男子だからこれくらいできるよね?」という感じの雰囲気で授業が進んでいく。わたし以外の人たちができる人ばかりだからなのか、これくらい出来て当たり前みたいな雰囲気でどんどんレベルが上がっていく。そして出来なかったら周りから冷たい目で見られ、陰口を表で言われる。男子ならスポーツが出来るなんて、誰が決めた?性別でスポーツが出来るかどうかが決まるのであれば、活躍している女性アスリートたちは何?このステレオタイプは明らかに差別。

■運動部と文化部  

男子と女子は体育の授業が分かれており、評価基準も異なる。一般的に男子の方が力が強い(?)ので、より厳しい基準で評価される。それは1000歩譲って良しとしよう。しかし運動部と文化部が同じ基準なのはちょっと待って欲しい。毎日トレーニングに励み、スポーツを楽しんでやっている運動部と、体育以外の運動をしていない文化部がなぜ同じ基準で評価されなければいけないのだろうか。どう考えても理不尽すぎる。何かしらの配慮がないと敵わない。一回も休まずに出席しているのに、上手くなったかと言われたら肯定はできないが自分なりに一生懸命頑張って、点になると言われた準備後片付けも積極的に取り組んで10段階で3。もう、これ以上何を頑張れば良いの?

■才能の評価。それってどうなの?

体育だけでは無く、音楽、美術、書道などもそうだが、ある程度の才能生まれ育った環境に左右される。親がしていたから、兄弟親戚がしていたから、何となくでやってみたら出来る。どんな環境で育って来たか、才能を持っているかで体育の成績は決まる。果たしてこの数字はその人の何を表しているのか。こう考えれば体育の成績が悪くても何とも思わない。進路にさえ関わって来なければ。

■いっそのこと、体育の先生になりたい

体育の先生は当たり前だが、スポーツができる人たちがなっている。つまり彼らには運動ができない人たちの気持ちがわからない。何ができないのか、なぜ出来ないのか、分からないだろう。だって自分はできるのだから。運動ができない子の目線で教えられる体育の先生になりたい。もちろんスポーツが出来るに越したことはない。しかし出来ないことはダメなことでは無い。でもスポーツが出来ないことがディスアドバンテージになっているのが日本の悲しい現実だ。この流れは変えないと本当にヤバい

■消された存在。だから成績3?

ある程度練習をしていると周りの人はどんどん上達していく。しかし私は運動部のスパイクやスマッシュ、あるいはパスなど、勢いが強すぎて怖い。技術的に対応できないのだが、恐怖心から対応しないようになってしまう。上達するどころか、積極性が無くなり以前よりも後退している。そんな練習を見て先生は「このクラスは優秀だからレベルをあげよう!」と地獄のような提案をしてきた。

また別の授業、卓球でのケース。私はピン球を返すのが精一杯なのに対して、周りの人たちは回転をかけたり、変わったフォームで返したりする練習を教えあってしていた。そんな中に入れるはずもなく、時間が過ぎるのをぼーっと立って待っていた。すると先生が私の方に歩いてきた。「怒られる!」と思ったが、もう成績なんてどうでも良かったため、そのまま何もしなかった。すると先生は私の前を通り過ぎ、奥の生徒に少し話をして、また私の前を通り過ぎて行った。

かける言葉もないのか、見えていないのか。全部欠席で3つけられてるのか。

■私の出席 < 欠席した友達のレポート

体育皆勤なのに10段階で3かと思っていたら、「出席してた時は8〜9だったのに、怪我してレポートになったら5とかふざけんなよ」という会話が聞こえてきた。下手なりに一生懸命頑張ったし、一回も休まずに出席した。それなのにレポートより酷いなんて。

■体育の"楽しい"思い出エピソード

体育には"楽しい"思い出エピソードがたくさあるので紹介していく。

▷バドミントンの授業
バドミントンの授業が、恐らく人生初のバドミントンだった。ペアでラリーを練習するとき、シャトルがラケットにかすりもしなかった。何度やっても上手くいかず、先生に体育館の隅に連れて行かれた。ここで一人でラケットに当てる練習をしているように言われた。初回はみんなからの冷たい視線を背中で浴びながら、一人で練習。結局その日は何も変わらなかった。授業は総当たりの対戦が始まったので、私はみんなのもとに戻された。しかし今までできないという理由で外されていたのに、できるようになったからでは無く、時間が経ったから戻された。もちろん勝てるどころか、馴染むこともできず、全敗。

途中から教育実習の先生が授業をすることに。こんなに親身になって体育を教えてくれたのは後にも先にもこの先生だけかもしれない。みんなが練習している時、マンツーマンで一緒に練習してくれた。とても嬉しかったが、上達はしなかった。あんなに教えてくれたのに、本当に申し訳なかった。

▷卓球の授業
卓球の授業の時、個人ランキングが高い人と低い人がダブルスを組むという地獄のルールで進められた。もちろん下位枠。飛んでくるボールを返すことだけで精一杯。もちろん、空振りや強さ加減が合わずにミスをすることもかなりある。たまに返せても、フワッとしか返せない。相手はすかさずスマッシュを打ってくる。しかもそれを返さないといけないのは相方。私がミス→相方もミス→相方イライラ→変に緊張して何もできなくなる→上手くいかない この負のスパイラルに陥り、ダブルスの雰囲気は最悪。相方には「だからダブルスは嫌。シングルでやりたかった」とかなり大きめの声量で言われた。私も彼と同じことを思っていた。「だからダブルスは嫌。シングルでやりたかった」。

▷ウォーミングアップ
校舎の周りを3周、それから室内に入り卓球。それが授業の流れ。運動部が先頭を走るわけだが、もちろんそのスピードにはついていけない。途中からは一人で走っており、走り終わった頃にはみんなが止まってしばらく待っていた。待たずに室内に入っていたこともあった。

▷水泳の授業
趣味程度で水泳をやっていた。唯一できるスポーツなので、選択した。すると冬場にはトレーニングと縄跳びをすると言う地獄みたいなことを言われた。縄跳びはダブルダッチという2本の大縄を跳ぶものだ。初めは皆んな出来なかったが、最終的に出来るようにならなかったのは自分だけだった。出来ないから回す方にまわるなど逃げようとすると、周りから目の敵にされた。

■もはや体育を受ける意味がない。

練習しても上達するどころか後退する。周りからも冷たい目で見られ、表で陰口を言われる。練習のときの居場所はない。苦手な人の得点源になると言われた準備片付けを率先してしても、皆勤で出席しても10段階で3。もう目標もない、意欲もない、モチベーションもない、頑張る理由もない、授業を受ける意味もない。時間の無駄。

■この記事を通して言いたいこと

別に体育の先生に文句があるわけでも、冷たい目で見てきて陰口を表で言ってきた生徒を批判したいわけでもない。《体育》は科目として成り立たないほど、穴だらけだということ。破綻しているということ。

■共感してくれる人、集合!

「体育が地獄」や「スポーツ嫌い」。それはあなただけではありません。辛かったことをシェアして、支え合いましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?