■うらら・のら 第十二話(予告)
第十二話 働くもの2 『勤労感謝』
「ここが猫又の里というのは……」
そう切り出したヤヨイさんこと、モモさんが笑い出す。「もう見ればわかるか」
わたしも釣られて笑った。
「そうですね」
そして、あらためて里のあちこちを案内して貰った。
「猫又にもたくさんの種族があってね。あやかしとしての歴史はとても古いの。われわれは東に始祖を持つ一族。そして千年ほど前に、この土地に越してきたんだ」
「それ以前は、どこで暮らしていらっしゃったのですか」
「ん。それは――――秘密。でも」
人類の祖が、ひととして定住を始めた頃には、すでに彼らも存在していたのだとモモさんは説明する。
「わたしたちは表裏一体だから」
山神ことソラ少年の説明と同じだった。
「昔は今よりもっと、混ざり合って暮らしてたんだよ」
だが、ある時からその繋がりが、たがいの摂理に合わなくなって行ったのだとモモさんは言った。
「だから結界が必要なの、今はね」
世界を分つのは、ひとだけでなくあやかしの意思でもあるらしい。
ソラ少年も言っていた。
「ひとは、魂魄と自らのマインドを指して説明します。
あるいは、荒ぶる魂と和む魂と神を以て象徴させることもある。
われわれの思う表裏一体とは、ひとの思うそれらと呼応します」と。
哲学を語るようで難解な言葉だが、わたしにもわかることはある。
近しい者同士の混雑は、時にすれちがい、争いを生む。ということだ。
それはひとのみならず、あやかしにとっても好ましい世ではないだろう。
「結界の向こうはことぶき山ですか」
ううん。モモさんは言った。
「結界の向こうはあわいの道、その先が人里。ことぶき山とか三登里市とか、オオマキと呼ばれる場所になる」
なるほど。わたしは頷いた。
結界には『あわい』という余白がある。
夏祭りの夜、うららちゃんの一線の手前で、わたしが覗き込んだのはそこだ。撫子さんと鈴を鳴らしたのも、きっとそこに違いない。
表裏一体。
だが、その境界は曖昧でもある。
結界がただの緩衝地帯ではなく、ひとつの『狭間』だとすれば。
曖昧な世界。
曖昧な存在。
曖昧なわたし。
それも道の上に乗っているのだろうか。
そんなことを考えながら、わたしは歩く。
「この里山は、小さな盆地よ――――ニンゲンの地図の上だと山の中腹に突然現れる窪地って感じかな。でも、誰もこんな猫又の里だとは気づかないってわけ」
へえええ。わたしは感心した。
里の暮らしは、古き良き長閑さに溢れている。
葉物野菜の畝がつづく畑、林檎や柿の木などの果樹に、赤い曼珠沙華の花も稲刈り途中の畦に揺れる。
家や建物は石組みを土台にした、木造家屋だ。
水くみの井戸端ではブチやシマのおとな達がお喋りし、子供たちが駆け回っている。
のんびり昼寝をする姿も多い。
家の軒に出した床几で船を漕ぐハチワレや、屋根や木の上で揺れるカギ尻尾、日向でのんびり休むミケのおねえさん達。
もちろん働き手もいる。
畑仕事をするトラや、建物を修繕しているシマ。
焼き物だろうか。大きな煙突のついた階段式の登り窯のそばでは、一心に粘土を捏ね、ろくろを回すサビの職人もいた。
「ここの名産よ。人里の道の駅や街のお店でも、お茶碗やお皿を置いて貰ってるの。見たことない?」
ああ、そういえば。
渋い錆猫の毛並みのような焼き物を、この町ではよく見かける。
「じゃあ、ことぶき焼というのは……」
「ここの焼き物よ。もちろん、外にはニンゲンの陶工もいるから、ざっくり、この山の土で焼かれた物がそう呼ばれてるみたい」
わたしと撫子さんのお茶碗も、ことぶき焼きだ。
「手に吸い付くような焼き肌と、釉薬の面白さがいいですね」
通りすがりの女性達が挨拶する。その毛並みが素朴で美しい器の地色そっくりであることに、わたしはふとモモさんを見つめた。
「あの――――変なことをお尋ねするのですが……」
ことぶき山の錆猫伝説って、ご存じですか。
しばし沈黙がある。
そのあと、モモさんは吹き出した。
「なあんだ、もう……急に怖い顔するから、変に構えちゃったよ」
え。急に?
「……怖い顔? しましたか、わたし」
「したした」モモさんは笑い続けた。
「もう金魚くん、口調が丁寧だから却って怖いんだって」
そうでしょうか。そうですか。
「くだけた言葉遣いはなかなか、なかなかに難しくて……ですね」
わたしは言い訳する。
わかった、わかった。
モモさんは、それをいさめた。
「錆猫伝説かあ……うん。都市伝説好きなんて、いかにも君らしいね」
それで、今日は山に登ってきたのかと尋ねられ、わたしは素直に頷いた。
じゃあ。モモさんは背伸びをする。
「ちょうどいいか。心配なんだか、興味津々くっついて来るのもいるようだし」
くるりと振り返り、後ろに向かって声を投げる。
「そこのチビたち! そろそろ出てきていいよ」
にゃあ!
みゃあ!
ぬうー!
ひゃあ!
くうう!
呼ばれて方々から声がした。
続いて植え込みや建物の影から飛び出したのは、短毛に長毛、カギ尻尾にナガ尻尾と、ぶちやトラ、シロにクロ、アカにハイ、三毛――――そしてサビの猫耳を持つ、愛らしい猫又の子供たちだ。
ふかふかの肉球をひろげ、口々に駆け寄ってくる。
おねえちゃーん。
オトトさんだあ。
ふたりいっしょ。
あんよなおった。
おててなおった。
もうどこもいたくない?
うはあ。
可愛い。うっかり顔がにやける。
ペロペロカジカジされたことも忘れ、ついつい微笑む。
最初にわたしを取り囲んでいたのも、この子たちだろうか。
「うん。ありがとう」
わたしが腰を折って顔を寄せると、全員の耳がぴくりと動き、口を閉じる。
あれあれ?
「ん。みんななんて言うのかな?」
モモさんの促しに、もじもじしていた子、はにかみ笑う子、みんな宝石のような目をきらきらさせる。
こ、こんにちわ!
いらっしゃいませ。
おげんきですか!
「ちがう、ちがう。そこは、ごめんなさい、お大事にでしょ」
あははは。わたしは堪えきれず、声を立てて笑った。
もういいですよ。治ったんだし。
「こんにちは。はじめまして、金魚です」
おととさん!
おねえちゃんより大きいね。
おねえちゃんもおっきいよ。
わたしたちは囲まれた。
四方八方から、もふもふの小さな手が、ぴゅんぴゅん動く尻尾が絡んでくる。揉まれる。登られる。
この既視感――――。
「うはあ……ツ、ツメは立てないで」
「あらららら……噛んじゃだめぇ!」
ふたりともおっきい!
おっきい! おっきい。
モモねえちゃん、あれやって!
あれやって!
あれやって!
あれやって!
「あは。呼んだのは藪蛇だったか」
モモさんが笑った。
わたしは問う。
「あれってなんです?」
「ええー君まで?」
しょうがないな、とモモさんは肩を鳴らす。
そして、高く両手を掲げた。
「よし。じゃいくよ――――!」
ぶわああああああ!
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