■小説 うらら・のら 第十話(予告)

第十話 謎のひと 『勤労感謝』

 ふぁ――――。

 ちょっぴり寝不足。
 ことぶき山の麓にある有料駐車場に向かう道すがら、わたしは生あくびを噛み殺しつつ昨夜の撫子さんの話を思い出していた。
 撫子さんのおじいちゃん、忠彦さんのことだ。
「昔のハルネ家の戸籍は、例の図書館火災があったとき役所ごとなくなって、町の住民もずいぶん入れ替わってるから、色んな人に聞いて繋げた話になるんだけど」
 そう前置きして撫子さんは語り出した。
「おじいちゃんは――――おばあちゃんの再婚相手というか……籍は入ってなかったから事実婚ね。わたしがこの家に引き取られたときには、すでにいて」
 その辺りの話をするとき、撫子さんの言葉の歯切れは悪い。
 小さい頃のことで記憶が曖昧なのと、親から離れた理由について大きくなったら話すと言われたまま、おばあちゃんが亡くなってしまったからだ。
 だが、おじいちゃんの思い出は別らしい。いつになく饒舌である。
「一緒に暮らしたのは二~三年。短い間だったけど、すごく可愛がって貰ったよ。変わった……というか、面白いひとでさ」
 曰くボヘミアンだったと。
「ぼへみあん?」
「はい。以下、歌うの禁止ね」
「わたしピアノはけません」
 ああ、そっち。撫子さんは愉快そうに笑うと、思い出語りを続けた。
「当時はおじいちゃんって呼んでたけど、今のわたしがそう呼ぶとややこしい?」
 ちょっと。わたしは笑う。
「じゃ、忠彦さん。ボヘミアンで面白い忠彦さんね」
 ボヘミアンとは、いわゆる自由人だと撫子さんは説明した。
 社会の規範に縛られない自由闊達な生き方をするひとを、昔は総じてそう呼んだのだそうだ。
 そして忠彦さんは、ただ自由なだけでなく百科事典が頭に入っているのかと思うほど博識であり、世界中の友達からさまざまな言語の絵はがきが届くような人脈も持っていた。
「たまに荷物も届いたなあ。隕石が衝突した時に大地が溶けて出来た緑色のガラス石とか、表が黄色で裏が真っ赤な鳥の羽根とか、トゲトゲつきの砂とか、金色の貝の化石とか」
「何かの研究をなさってたんですか」
 どうだろう。撫子さんは首を傾げた。
「まめに手帳を開いてたのは覚えてるけど、仕事という感じでは。うちで働いてたのは、おばあちゃんよ」
「お習字教室ですか」
「そうそう達筆でね」
 おばあちゃんこと先代の撫子さんは、入れ替わりの前には公民館で働く傍ら、そこでお習字教室を担当していた。
 人気の教室で、子供たちや、ボールペン習字を学ぶおとな達で賑わっていたそうだ。今の撫子さんは職を退いているが、達筆は先代譲りである。
 本人曰く、辻褄合わせに努力したとか。
 話を戻そう。
「それで、この琥珀なんですけど」
 おじいちゃんが意味深長な言葉と共に撫子さんに託したという旅のお伴、オーパーツ(仮)は、ことぶき山で採取されたという五色琥珀のひとつだ。
「忠彦さんが見つけたものなんですか?」
 どうかなあ。撫子さんは首を傾げた。
「うん――――そうかも。ほかにもたくさん持ってたし」
「たくさん、ですか?」
 目を丸くしたわたしに、まあまあと撫子さんは笑った。
「まさか全部オーパーツじゃないって。知らんけど」
 そりゃあ、そうだ。
「でも裏山で見つけたって言ってたな。地元の研究グループに協力もしてたよ。たまに大学の先生がうちに来てたもん。でも、本人的には趣味? 蒐集?」
 なるほど。
「ほかの人みたいに、それを仕事にしていたという感じじゃなかったなあ。凄く自由で」
 撫子さんは言った。
「琥珀に関してだけじゃなく、忠彦さんは、もう生活全般がそんな感じ」
 人様の頼まれごとは引き受け、野草を摘み、おかしな唄を歌い、野良猫に話しかけて天気を読み解き、晴れた日には庭に張ったテントで眠っていたのだと。
「そういうひとなんですか」
「そういうひとだったのよ」

「そういえば――――」
 車のハンドルを握っていた撫子さんは、ふと何かを思い出したようだ。
「あの飛んでった派手なテントも、忠彦さんから貰ったものだった。どこかの海岸で拾ったんだって」
「そうだったんですか!」
「話したら思い出したのよ。ホントあのひとには、いろんなことを教わったのよねえ」
 撫子さんの声が弾む。
「野草の食べ方、空き缶と茶がらを使った燻製、マッチやライターを使わない火の起こし方に――――天然酵母のパン。あれは傑作だったなあ。なかなかうまくいかなくて。カチカチの煎餅みたいなパンを齧ったもんよ」
 なんと。
「でも、失敗しても後悔しない。呑気は生きていく秘訣だからって」
「いいひとですねえ。お会いしたかったなあ……」
 わたしは感心したが、笑い飛ばされた。
「いやあ……どうかな。面白い、いいひとではあったけど。物凄ぉぉく怪しいひとでもあったんだ」
 物凄ぉぉく?
「説明が難しいなあ……」
 撫子さんの目が猫のように細くなる。
「そうね。例えば、突然なぞの言葉で歌いだすの。で、子供のわたしは何が始まったのかと、神妙に聞いてたのよ。実際に何ヶ国語も話せるひとだし、森の中のなんちゃら部族の儀式に参加したなんて話もあったし。そうしたら横からおばあちゃんがね、こそっと『これは出鱈目よ』って。本人は『新しい言語を生み出す約束なんだ』って大真面目なんだけど――――で、それを証明しようって、その言葉のままずっと話してたり、電話にでたり」
 物凄ぉぉく怪しかった!
「大丈夫なんですか、それ」
「大丈夫な訳ないじゃない」
 電話の相手をしたご近所さんは、相手がお年寄りだけに、何があったのかと慌てて駆け込んできたのだとか。
 でもね。撫子さんは微笑んだ。
「そのあと本当に手紙が来たのよ。忠彦さんの出鱈目語で」
「まさか!」
「アメリカの大学で言語学の研究をしてるひとから。ニューギニアで知り合ったそうよ。古代の言葉をコンピューターに学ばせるための利便的なパターンを、ふたりして作ってたんですって」
 うひゃあ。
「まいりました」
「なんだかねえ」
 わたしたちは声を合わせて笑った。
「なんか勇者――――いえ、神様みたいなひとですねぇ」
 わたしの言葉に撫子さんは目を丸くする。
「神様かあ、あんたの宗教観もだいぶ謎だわね。ネット小説の読み過ぎじゃない?」
 えへへへ。
「おばあちゃんはあのひとのこと、野人とか、野良とか呼んでたなあ」
 そうか。
 わたしは思い出す。
『野良金魚かあ……いいね』
 夏の縁側でかき氷の器を片手に遠くを見つめて、何かを思い出すように笑った横顔を。
 異形の世界との一線を示してくれた厳しさを。
 おばあちゃんと忠彦さんが揃っていたハルネ家とは、いったいどんな風だったのだろう。

 うーん。

 わたしはポケットから例の琥珀を取り出して、車の窓越し、日に翳してみた。
「そうやって見ると、やっぱり綺麗なものねえ」
 はい。
 とろりとした飴色の光。
 紙が溶け、インクの色だけが残った数字とねじれてばらけた円マーク。
 簡易的なテストはしてみたものの、専門家が見ればUVレジンで作ったただの贋物だと笑い飛ばされるかもしれない、この琥珀――――だが。
 撫子さんが横目に微笑む。
「なあに?」
「ちょっと考えてたんです」とわたしは言った。
「あのサイトにあった『錆猫は五色琥珀の目をしている』っていうのは、そのまんま、様々な色をした琥珀と猫の瞳をかけているんだと思いますが」
 そのあとにわざわざ、錆猫は五色琥珀が好きだという説明も入れているあたり。
「ただのこじつけじゃない何か。伝説の、隠された部分がまだあるような気がするんです」
 なるほど。撫子さんは頷く。
「なんだかわくわくするわ」
 はい。わたしも大きく頷く。
「もしかしたら、この62円琥珀も伝説との関わりがあるんじゃないかと」
 値段で呼ぶと安いわね。撫子さんはひとしきり笑ったあと、
「そう言えばね」と、切り出す。
「おじいちゃんは、わたしとおばあちゃんが入れ替わる前に、また旅に出て、それきり戻らなかったんだけど。出かける前にね――――言われたの」
 撫子さんはきりっと眉を持ち上げた。
「知りたいことがあるなら自分で探しなさいって。撫子もそうした。君にもその力があるはずだ……って」
 ――――ふうむ。
 だから、この琥珀も
『君が持ってなさい。きっといつか役に立つから』
 そういうことなのか。
「なんだか、胸がドキドキします」
「さあ、冒険の始まりよ」
 撫子さんは、軽快に愛車のハンドルを切った。

 平日のキャンプ場はのんびりとしていた。
 車を駐車場に入れ、管理事務所に挨拶に行く。
 無言でそのまま脇のハイキングルートに入っても別に構わないのだが、撫子さんは必ずここに立ち寄って、直近の山の様子やちょっとした情報を管理人さんに尋ねることにしていた。
 かの『萬丈酒』や五色琥珀を使ったキーホルダーや山菜などの地産品、山やキャンプ場で食す軽食、飲料水などもここで手に入る。
 ことぶき山を守るオオマキ神社の社務別所も併設されており、わたしたちは白絵馬を手に入れるつもりだ。
「こんにちは。いらっしゃいませ」
 カウンターにいたのは、いつものエクボさんではなく、初めて見る男性だった。


つづく

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 2023/04/22 午前10時解禁https://novel.daysneo.com/author/sumica_wato5656/works.html


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