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タケノコをながめていたら

秩父でとれたらしい巨大なタケノコをもらった。
アクをとるのに、糠(ぬか)を入れて鍋で煮ながら、なんとなくタケノコをながめていたら、

ふと、思った。

いまや当たり前のように、タケノコを食べるけれども、ぐいんと、とんがった焦げ茶色の頑丈そうな皮に包まれた、場合によっては巨大なこの物体を最初に食べてみようと思った人がいるというのがすごいな、と。

見た目からしたら、まさか食べておいしいものだとは思えない。

皮を剥がないと全貌もわからないのだから。

いちばんにタケノコを食べた第一人者は、どうして食べようと思ったのか、どうやってみつけたのか、食べてみてどうだったか、おいしかったのか、まずかったか、どのように調理して食べたのか、、。
疑問がこんこんとわき出てくる。
いま、最初にタケノコを食べた人が目の前にいたら、ものすごい勢いでインタビューしているはずだ。

そして、それだけでなく、タケノコにはアクがあり、アクをとって食べたほうがおいしいというのも、どこの誰が気がついたのか。糠でアクがとれるのも、なぜわかったのか。

考えれば考えるほど、すごいことだ。
人間ていうのは、未知なる力をたくさん秘めているのだろう。
チャレンジャーだし、創意工夫や知恵に富んでいる。

それに、どんなことでも、まだまだそのものの起源とか歴史とかを紐解いていったら、知らないことなんて無限大だと思える。

ふだん、当たり前のように食べている食べものや使っているもの、世の中にたくさんあるものやコトなど、小さいものから大きなものまで、ひとつひとつを細かくみていけば、本当はその個々に奥深く、ときに膨大な量のストーリーが詰まっていたりするんだろう。

そう思えば、何気なく過ごしているような自分の人生ですら、本当はとても深いし、きっとおもしろい。

そして、この世も捨てたもんじゃない。



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