8/7 日記(仮)男性教

たまたま流れてきた瀧波ユカリさんのTwitterが刺さる刺さる・・・。

この構造を私は不妊治療を通して知ってしまったから、心がヒリヒリ痛いぜ!!!!!

たぶん、不妊治療にかかわらずとも、他の問題とも親和性は高いんだろうな。ワンオペ育児とか・・・?

性別関わらず誰でも”困りごと”に遭遇することはあるんだよ。それを、適材適所に相談したり、困りごとの背景を自分で学んだり、経験を積み重ねて問題を回避できればいいのだけれど、自分でそれを認められないところでつまづくから、その先にまったく進めない。

下手に語ろうものなら、”女みたいなこと言いやがって””軟弱””女々しい”なんてレッテルを貼られる(というか、貼る人なんて現実に存在しなかったとしても、自分自身で貼ってしまうという恐ろしさよ)。それだったら、沈黙してしまう方がよっぽどいい(と本人が思ってしまう)。

不妊治療で言えば、そもそも”自分自身に妊娠を妨げる要因があるなんて知りたくない”という考えでそこから先に進めない男性もいるわけで。。。(しかも進めない思いを妻にも吐露できず、沈黙するのですよ。まじ大変っすよ。)

無自覚なのか、自覚的なのかは人それぞれだろうが、瀧波さんの言葉を借りれば『「男はこうあるべき」ってめちゃくちゃガッチリ決められてる男性教の戒律の中で生きることを強いられていて、はみ出すと男性教が支配する社会から弾き出される。』ということへの恐怖なんだろうな、と思ったりもする。

”なかなか妊娠しないことを悲しんでいる妻に寄り添う俺”、とか、”妻の不妊治療を手伝う俺”というポジションなら格好がつくけど、その原因が”俺”にあるのであれば、それは認められない、みたいな(ここはかなり本質の部分な気がするゾ。さらにそう思ってること自体も知られたくないんだよねぇ。まさに聖域。もちろん個人差はあるけどね。何度も言うよ、個人差はあるから男性はみんなそんな感じとか思ってないからね!)。

妊娠させられない→性的不能→”俺の男らしさの否定”みたいな思い込みとかもあるのかもねぇ。。。


何かうまく行かないことがあるのであれば(この場合は、なかなか子供を授からない、という問題)、それを妨げる要因を明らかにして、それを解決するために専門家に相談したり、自分自身で対応できることがあるかどうか勉強すりゃいいのに、それを認めちゃったら”自分自身の男性性”みたいなものを自分から否定するような気持になって、思考停止→仕事が忙しいとのらりくらりとスルー、みたいなタイプが一定数いて、これがそうとう厄介なんだよ。まぁ、あとは”妊娠するかは妻の問題”という思い込みで脳みそがガッチリ固定されてるタイプの男性もいるかもしれないけどね。おめでたいっすよ。まったく。


瀧波さんの言うように『男性差別をしているのは女性ではなく、男女問わずこの「男性教の信者たち」なんだよ。』というのはまったくそう思う。

もし”認める”ことで自分の男性性を否定させられるような気持ちになるのであれば、それは自分自身が程度の違いはあれど男性教の信者になっている証拠であり、もし外野で男性性を否定するような攻撃をしてくる人がいるのであれば、その人が男性教の信者なんだよ!(それが妻の場合はこれまた大変だろうね。。。)

自分が洗脳状態にあるかどうかって実は自覚できてなかったりするんだよ。自分自身のことなのにね。私もそうだよ。私だって”女の幸せは妊娠・出産”とか、”孫の顔を見せるのが親孝行だ”みたいな考えに洗脳されまくってたから苦しかったんだよ。でもそう思い込んでる時は”洗脳されてる”って自覚ないよ。それより、”というか、そういうものでしょ?”くらいに思ってたわけだから。


ちなみにオットは男性不妊外来に行った時に”俺の心友がたくさんいる!”って言ってたぞ。男性教の洗脳がそれを見えなくさせてしまってるんだけど、本当は心友はたくさんいるんだよ!(もれなくうちのオットは心友だぞ!)それに気づいて、自分の困りごとを自分の言葉で語れる(オープンに語れとは誰も言わないけれど、せめて自分のパートナーとか、専門家には語れるようになるとぜんぜん違うんだけどねぇ。。。)ようになる男性が増えるといいなぁって思ってる。