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オモニの笑いと自分らしさ

「京、お昼ごはんをご馳走するから、私のオモニ(お母さん)に、日本語を教えてくれない?」

韓国の語学学校で日本語を教えていた時、英語のキム先生にそんな提案をされた。
そうして、私は、初めて韓国人の同僚の家にお邪魔することになった。

日曜日の午前中、バスに乗って、キム先生の家を訪ねた。
日本語を教えている間、オモニは全く笑わなかった。眉間にシワを寄せ、じっと聞いていた。「リピートしてみてください」というと、オモニは口を開けたが、顔は怒っていた。私は、普段の授業よりも数倍緊張した。
お昼近くになると、オモニがお昼の準備をすると言って、唐突に授業を終わらせ、台所へ行ってしまった。私は、手伝うために後を追いかけた。料理をしながら、今度はオモニが韓国語を教えてくれた。料理に使う、動詞や名詞。そして、オモニの出身地方の方言も教えてくれた。その時も、やはり顔は怒っているようにしか見えなかった。
お昼ご飯は、チヂミやチャプチェなど、辛いものが苦手な私のために、辛くない料理を作ってくれた。そして、最後にさつまいもを蒸してくれた。私は、大の芋好きだったのだ。
「京は、私と同じで田舎娘だねえ」
私を見てオモニはうれしそうに笑った。
私は、「東京出身だけど」と一瞬思ったが、オモニが笑ってくれたのがうれしくて、そんなことはどうでもよくなり、一緒に笑った。

「京はいつも笑っているね」
オモニがお昼を食べながら、みんなに話した。
確かに、私は、いつも笑っていた。教えているときも、誰かと話しているときも、いつも笑っていた。そうすることが、当たり前だと思っていた。だが、韓国には、笑わない、無愛想な人が多かった。

韓国に住んだばかりの時、私は、家の近くの小さなスーパーで、いつも朝ごはん用の菓子パンを買っていた。だが、店主に一度も「いらっしゃいませ」と言われたことはなかった。韓国には、そんな無愛想な店主がたくさんいた。いつもムスッとして、レジの前に座っている。
そのスーパーは、女性のおばちゃん店主だった。店主に、一度話し掛けられたことはあるが、当時、私は韓国語がわからなかったので、会話は成り立たなかった。
だが、一度、語学学校の先生とそのスーパーに行った時、店主がその先生に急に話し掛け始めた。二人は、笑いながら話して楽しそうだった。店主の笑顔を見て、ちょっとうらやましかった。話が一段落すると、私のことを聞かれて説明していたのだと先生が話してくれた。店主は、私に話しかけたかったが、韓国語がわからない私に話し掛けられなかったらしい。翌日から、私がスーパーに行くと、ゆっくり話し掛けてくれるようになったが、やっぱり無愛想だった。

韓国人は、笑うけど、愛想笑いをしない人が多い。たまに愛想笑いをする韓国人を見ると、「日本人ぽいな」と思ってしまう。そう、日本人の特徴は「愛想笑いをする」ことなのかもしれない。では、なぜ、日本人は愛想笑いをしてしまうのか。

「日本人は、相手に配慮しようとする人が多いから」
「相手を傷つけないようにしながら、話そうとしているから」
そんなふうに思ってしまうのは、私が日本人で、日本人の肩を持ち過ぎているからなのだろうか。

「日本人には、本音と建前がある」
韓国で、よく生徒に言われた言葉だ。
「建前」がいわゆる「愛想笑い」ということになるのだろうか。

私は、韓国で無愛想な人をたくさん見た。でも、そういう人たちが、心から楽しんで笑っている姿も見てきた。笑いたいときにだけ、思い切り笑う。本当に楽しいと思って笑う姿のなんと清々しいことか。それに比べ、自分はどうか。特に楽しくないことでも、とりあえず笑う。まるで、笑顔でいることがいいことのように思っている。自分はいつから愛想笑いをするようになってしまったのか……。

いつからかは、思い出せない。
でも、覚えているのは、母親の不倫を知って、布団の中でずっと泣いていたのに、翌朝、家族の前でも、学校の友達の前でも、普通に何事もなかったように笑顔で振る舞えたことだ。学校帰りに、「どうして私はこんなに悲しいのに、みんなの前では笑顔になってしまうのだろう」と涙を流しながら歩いたのを覚えている。その頃、不倫はテレビの中の出来事だと思っていたし、誰にも言ってはいけないことだと思っていたからこそ、ずっと心の中に秘めていた。だから、「普段どおりに笑顔でいなくてはいけない」そう思っていたのだ。私の笑顔は、周りに本心を気づかせないための隠れ蓑だった。

「笑顔を見ると、ほっとする」
そんな言葉を使う人がいる。確かに、家に帰って、家族がムッとしているよりは、笑顔でいてくれたほうが気分がいい。見ず知らずの人に道を尋ねて、ムッとされて教えてもらうより、笑顔で答えてくれたほうがありがたい。

だけど、いつもムッとしている無愛想な人が、ふと笑った瞬間を見ると、「いいなあ」と思ってしまうのも事実だ。「笑えるくせに」と否定的に捉えられる人もいるかもしれない。だが、私は前者で、そういう人にとても好意を持ってしまうのだ。自分の父親をはじめ、自分が好意を持ち、惹かれる男性は、ほとんどが無愛想な人だった。それはいわゆる「ギャップに弱い」というやつだ。

だからだろうか。私は、韓国の生活が自分に合っていた。日本人と似ているようで全然違う文化がそこにあったからだ。日本人に比べて、喜怒哀楽がはっきりしている韓国人がとてもうらやましく、笑わない韓国人には芯の強さを感じた。
「自分自身の心のうちをもっと自由に表現してもいいんだ」
私に、そう思わせてくれたのも、また、韓国の人たちだった。

あれから、20年が経とうとしている。仕事で、海外生活を10年以上した結果か、日本での生活では、愛想笑いが少なくなった自分を感じる今日このごろ。周りに配慮しつつも、笑顔の安売りはしないようにしている。そして、笑いたいときに大きな声で気持ちよく笑い、悲しいときには、心からため息を出す。どう思われているかが大事なのではない。自分がどうしたいのかが、大切だとわかったからだ。

時の流れとともに、目尻のシワが深まるように、自分らしさも深まっていくなら、歳を取るのも悪くはない。

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