信用を取り戻せ、だと??

信用経済なる話をよく見るようになった。

私がパッとイメージしたのは、子どもが周囲からの信頼を失う行動を取った後に大人が投げかける「信用を取り戻しなさい」と言う言葉だ。失敗した後に子どもが何かを求める場合、大概この壁が提示される。

ここで言う、信用の取り戻し方が今日のお題。

確かに大人側の言う通り、以前の失敗を考えたら許可は出せないよ、直すとこ直そうね、と言うことの意味はわかる。
ただ周りの環境と子どもの特徴の組み合わせによっては、どう頑張っても、いや、頑張れば頑張るほどに信用を失い続ける負のループをひた走ることになる。

最大の要因は「信用を取り戻した状態」=「大人の意に沿った状態」として扱われているところ。
大人だって日々調子が上がり下がりする存在だから、その日に「意に沿った状態」ができたとしても、同じ振る舞いが明日の大人の「意に沿った状態」になるとは限らない。

残念なことに、何かを達成されたら信用を勝ち得たことになり、不安が拭い去れないまま子どもに好きな行動を取らせてしまう事が怖い、という大人の側の弱さの証明だ。

それに加え、生活はその大人と1対1の時間だけがあるわけじゃない。
一緒に住む別の子どもの動きによっても大人が求める正解は常に変化し、信用をなくした出来事を覚えている大人の方は不正解ばかりがカウントしていく。向けられた不信感を素直に受け入れて我慢を積み重ねていくと、さて子どもはどんな行動に出るのでしょうか?という話だ。

と、いうところで、
書きながら沸々とお腹の辺りが熱くなってきたので一旦落ち着こう。
私が書きたいのは、子供の足を引っ張る弱っちい大人ムカつく!ではないから。

ちょっと時間を移動しよう。
私が小さい頃、親に叱られた後に、親が示す正解に沿うように自分の行動を捻じ曲げる度に悔しくて大泣きした。
正しい行動に変える事ができたのに、なぜそんなに泣くの?と親は疑問を投げかけていた。
当時の自分もよくわからなかったけど、今思えば、変えたくないのに人の言う通り変えたから悔しかった、と明確に言える。
果たして、私は親の信用を取り戻していたのだろうか。
取り戻していたとしても、自分の価値を積み重ねたことになっていたのだろうか。
まあその後の思春期で思い切り躓いたことを思い返すと、単に親の言う行動をトレースしたところで失敗を乗り越えた成長などできていませんでしたね。。。

さて。今は私も大人側に立っている。入所生活を送る子どもを直接担当をする事がないからどう頑張っても脇役なんだけど、ちゃんと「大人の意に沿って行動しよう」という言葉も用いる。
それができると減らせる損(=面倒臭い大人との接触時間)もあるよ?人生は有限だから重要じゃん?
という括弧付きで。

ただやっぱり、子どもはムカつく大人との闘争が大好きなのか、それが成長のための必須科目なのか、本人が納得するまで信用残高を放出し続ける。場合によっては大人になってからも。納得しきれなきゃ、人生の全てをかけて。

なので私は、担当の職員相手にその闘争に挑む子どもに対して、納得できるまで付き合うことにしている。
残念ながら、施設生活の枠に収まらずお別れするケースも出てくるのだけど、同じ施設の中で、自分の価値を捻じ曲げ続けて歪んだ適応を作り上げるより上手く事が運んだりもするのも見てきた。

本当に信用を勝ち得たい相手に対してだけ本気を出して、あとは無関心で通していったら良いと思うし、私もそうすることにする。ちゃんと、信用に値する人はいるのだ(これを事実として知ってるのって実はすんごい価値がある気がする!)。

とりあえず子どもポジションから見た信用問題を書いてみたけど、今度は職員と施設の関係性でも書けるかもしれない。というかもうちょっと信用経済の話として上手く組み合わせたい!

いやはや、今日もお付き合いいただきまして感謝感謝。

ゆきちかさん

自分の好きな施設に訪問して回りたいと思います! もしサポートがあれば移動費と施設へのお土産代に費やします!