見出し画像

だからその手を離して

こんなタイトルだけど、モノづくり人の「こだわり握力」のお話です。
※歌詞じゃないよ

わたくし、わりとモノづくりど真ん中業界にいるわけですが、いやはや、デザイナーに限らずモノづくりの人の持つこだわりってホント強烈です。こだわりへのグリップ力が強すぎて、私も何度も何度も締め殺されかけてきました。(これはマジ)

この握力はどこから来ているのかな〜??と考えるに、やっぱり「モノ」の持つ、生産された瞬間=ゴールという性質のせいでしょうか。

金型を掘るその瞬間まで図面を120%まで修正し、成型品に不満があれば金型を磨き直し、組まれた公差が納得行かなければ差し戻し…と、製品が「完成品」となる瞬間まで、こだわりにこだわりまくり、ちりひとつも悔いのない状態にしたい!!!という並々ならぬ怨念。
なぜなら、工場を出たその瞬間から、二度とその製品達は作り手の元に帰ってこないから。出荷=永遠の別れ。だからその瞬間まで、ほんの僅かでも気になったものは人を殺してでも直すべし。
「美しいプロダクト」はこういう凄まじい圧によってできています。
※注:個人の感想です

いや、大事大事。「モノ」をつくる上ではね。
問題はこの令和に、モノ以外でも何でもこのマインドで望んでしまうこと。

ここで、私が横断幕にして掲げたいNo.1の深津さんの金言を。

こんな時代なので、モノづくりの現場も変わっていかないと!と思ってはいて、頭では分かっているんですよ(多分)。
しかしそんなこと言われても、一度ついてしまったムッキムキの握力は、そう簡単には緩めることができません。

一回小さく作って、検証して、直して…を回すのが今どきのアジャイル開発ですが、全体像が見える前に細かいところを反射的にチマチマチマチマ直したがるせいで、この「一回小さく作る」に辿り着かないまま、グズグズに磨き壊されてしまうパターン、あるあるなんじゃないかなぁ。

今までのモノづくりでいうと、実際に見える物を作ってる分、プロセスがそのまんま結果として可視化されやすいんですよね。つまり段階が進まないと細かいところが見えてこない=細かいことをネチネチするのは自然と最後になる。そのおかげで、最後にネッチリと凄まじい磨き圧をかけても骨格がすでに出来ているので大丈夫だったわけです。

ところが、勝手の違うソフトウェアとかサービス設計とかいう話になると、骨格をどうとらえていいかわからない。そして、初期からパッとみて分かりやすい葉末の具体例をギッチリ掴んで仕上げようとしてしまう。

※ちなみに「磨き壊し」は金型をはじめ、やすり等で磨いて仕上げるもの全般で使われる言葉です。
本来は元々計画していた形をキレイに見せるための仕上げ磨き工程なのに、力を入れて磨きすぎて元々の計画の形を壊してしまうことを指します。
造形領域では取り返しのつかないメチャ「重罪」ですが、結構やりがちなのもまた事実です。誰だって仕上げで欲が出るのだ。


「こだわるのは良い事だ」という通念があるので、「こだわるな」は言いづらいことではあるのですが、このこだわり握力の弊害が、けっこうモノづくりの現場の変化が難しい要因としてあるんじゃないかなぁ…と思ったり。

目の前のことに反射的にグリップしてしまう前に、分からないことも懐に抱えて俯瞰できる力がほしいですね。。。

そういう私も相当握力バカなので気をつけて生きていかねば…と、自戒の念を込めています。
筆圧強すぎ文章も改めないと・・・

この話は、こちらのあおきさんの記事を読んで書きました。頷きすぎて首がもげました…。

明日は仕事の中間確認会。これはギッチギチに細部にこだわって参ります !

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?