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daily voices: 9/23/2020

しばらく違う言語を話していると、いままで流暢に話せていたはずの母国語を忘れてしまう。言葉自体はちゃんと理解できるけれど、どんなふうに言葉を並べて話していたのか、わからなくなる。
わたしは言葉をパズルみたいに組み合わせて話すことが好きだ。だれかと会話をするときに、そのパズルのピースが好きなかたちの人だと嬉しくなる。わたしの知っているピースを持っている人だと、たくさんの言葉を交わしたくなる。
ひらがなと漢字と、たまにカタカナと、そのいろいろなフォルムの文字たちを組み合わせて作る文章。
村上春樹さんが本の中で(確か、「やがて哀しき外国語」)自分があまり日本で表舞台に立たない理由を書いていた。村上さんは、日本語を話すことが苦手らしい。言葉を頭の中できちんと整理して大切に並べることが自分には向いているから、話していると、それが出来なくなる。それが怖い。と言っていた。
わたしは小説家でもなんでもないけれど、わたしも「話す」ということがあまり得意ではない。何度も書き直しながら、言葉の順番やニュアンスを変えていきたい。相手に伝えたいことを考えたい。そしてやっと自分が話したい文章になる。その感覚が好きだと思う。たとえそれがわかりにくいものであっても、そこにはわたしだけの呼吸がある。わたしだけの言葉たちが並ぶ。
それから、だれかの言葉を読むことも好きだ。相手の息遣いを考えたい。声色や表情を想像したい、そんなふうに思う。
だからやっぱり、音楽と似ていると思う。
日本語から少し離れてしまうと、ちょっとだけそれを忘れてしまう。それはとても恐ろしいことだと気がついた。なにかを失くしてしまう気分。
まだまだ日本が好きなんだなあ。


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              「だれかの落書き」



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