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ありがとうが伝わらなかった話

毎日、「ありがとうございます」と伝えていた人がいた。

私が新卒で入った会社で、一応、私の教育担当だった人。一応、会話をするたびに、ありがとうございますを言葉にしていた。
(一応というのは、私が新人教育を受けていないからだ。正直、あまり仕事を教わることができなかったので、取引先の方に仕事を教わるなんてこともあった。)
文房具の場所を確認したとき、取れなかった電話をとってもらったとき、「ありがとうございます」を言葉にしていた。

「あなたは、いっつも、謝りもしない!」その人に言われた。

私と同時期に入社した女の子は、いつも謝ってばかりだった。文房具の場所を確認したとき、取れなかった電話を撮ってもらったとき、「ごめんなさい」を繰り返していた。その子は3ヵ月もしないうちに会社を辞めた。

「あの子は謝ってくれたのに、あなたは謝りもしない!それで生きていけると思ってんの?」

…できなかったこと、わからなかったこと。それをしてもらったとき、助けてもらったとき、私は謝るべきだったのか?「ありがとうございます」じゃダメだったのか。私は「助けてもらったらありがとう」を言える人になりなさい、と教育された気がする、気がするだけで、本当はそんなことないのか?そんな言葉はいらなくて、常識も世界も違っていて、「ごめんなさい」じゃなければいけなかった?

「ごめんなさい。もっと頑張ります。」私は何もわからなくなって、そう言った。

そのとき、今までの私がすうっ…と消えてしまった気がした。この会社に入って私はとても後ろ向きになったし、何かがおかしくなってしまった。自己肯定感みたいなものが消えてしまった。きっと、あのとき私は死んだのだと思う。入社から半年と少し経って、私は本格的におかしくなってしまい、その会社を辞めた。

ボロボロだった身体が少しずつ動かせるようになって、自分自身の心をどうにかしければならないと思うようになった。身体もおかしかったが、それ以上に心がおかしかった。私は対人恐怖症のようになっていた。荒療治だ…とカフェのバイトを始めた。そこではとにかく謝った。何もできないから、教えてもらうたびに謝った。

「できないのは当たり前なんだから、謝らないでいいんだよ~」と、当時の店長に笑われた。そして、わからないことがあったら、遠慮なく聞いてね…とも言われた。

人に物事を教えてもらったとき、私は謝るべきなのか…お礼を言うべきなのか。よくわからないままだった。でも、あのとき店長に言われた「謝らないでいいんだよ」で、心が楽になったのは確かだった。たった一言に救われた気がした。

***

私が働き始めてから何年も経った。新卒で入った会社は、令和を迎える前に消えてしまった。あの人には、最後までありがとうは伝わらなかった。私の言葉には何の価値もなかったとい虚無感と、「ありがとう」が伝わらない恐怖を、私は今も抱えている。

私はあのときどうすればよかったのか、常識が何だったのか、今も何もわかっていない。けれど、今はどうでもいいと思っている。

私は言いたい言葉を言うことにした。正しいかどうかではなくて、いいたい事を言うことにした。だから、私は誰かに物事を教えてもらったとき、「ありがとうございます」と言うことにした。

私は「ありがとう」の方が、私の気持ちとして本当だと思うから。

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