ひさしぶりの春

ある日、春のぽかぽか陽気のなか、大学へと続く坂を登っていた。

 不意に、この春を迎えるまでに、あるいはこの春の日差しを浴びるまでに、とても長い月日が経っていたような気がした。この日本では1年に1度は必ず来るはずなのに、すごく久しぶりの春、そんな気持ち。まあ、少し考えてみたら、こうも思うのも当然である。

 春という季節が久しぶりと感じたのは、主な理由は2つ。
 まず1つが、去年の春はあまり日中に外に出なかったからだ。言うまでもないだろう、あの春は、今もまだ収まらないあの感染症の初期だった。
 去年は大学も立ち入り禁止になった。だから、学校への坂道を歩くこともなかった。通学途中にぽかぽか陽気に照らされることもなく、日が暮れてみんなが外にいないであろう頃合いを見計らって買い物に出るだけの日々。
 今もそれなりに気を付けることはあるけれど、去年の今頃ほどは過剰に恐れることはなくなった。今年の春は、気を付けながらも外に出ることができるのだ。もちろん春を全身で感じるにはマスクは邪魔だけど、人がいないところではマスクを外して大きく深呼吸できる。何もわからなかった去年は、文字通り息をひそめて暮らしていた。

 春が久しぶりだと感じたもう1つの理由は、冬が長かったからだ。厳密な意味で冬の日数を数えたわけではない。そんなことを調べる気もない。
 冬という季節の間に、人生の方向を決めるイベントに振り回されていたのだ。修士課程の修了を決める修士論文、そして進路を決める博士試験。いつかやってくる〆切があることをわかってはいたけれど、それをただのんびりと待ってるわけにはいかないわけで、とにかく限りある時間を精神を擦り減らしながら過ごす本当に永遠のような長い長い冬であった。終わりの見えない冬というべきだろうか。4年間暮らした北海道の冬だってまだもっと明るさがあった。今年の冬は、実にくらくて、ながくて、つめたい冬だった。季節としての冬の終わりに差し掛かるころ、論文も試験もすべてが良い結果に終わった。わたしの中の冬も終わり、ようやっと花々が咲きほこる春が来たのだ。
 心にも春が、そして季節としての春がやってきた。薄手のシャツではまだ少しこころもとない春だけど、そんなわたしの背中を押してくれるようなそんな春が来た。

 久々の春は心地よかった。

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