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”そのまま”に受け入れること

こんにちは、春ですね。

ここ1週間くらいで、ちらほら桜も咲き始めた様で、
いよいよ冬が終わって春になっていくんだなという感じがしております。
僕は、茨城に住んで今年で5年目になるのですが、最初の春にみた千波湖の桜が忘れられなくて、毎年春になると足を運んでしまいます。

初めまして。
むらたゆうき、といいます。

今回は、
ここ最近の僕の変容と昔の僕のことについて書かせてもらおうと思います。

個人的なお話なので、緩めのテンションでいかせてください(笑)
落ち着いてるねと言っていただけることが多いので、そんな感じで。

僕は、1年半くらい前から水戸市の小さなシェアハウスに住んでいるのですが、そこで一緒に住んでいる住人さん達から、
「最近むらたは変わったよね」と言われることが多くりました。
そちらについて、自分なりに考えたことを書き残しておこうと思います。



僕の住んでいるシェアハウスには、「はなれ」という場所があるんです。 
間取り的な話だと、よくある戸建ての古めのお家にもう一部屋を追加でくっつけた様な建物です。母家から短い通路を通って、すぐに出入りできるので、離れというには近すぎるのかもしれないのですが、そんなイメージです。

うちのシェアハウスでは、その「はなれ」を地域に開かれた図書館だったり、コミュニティスペースの様に展開しています。
僕は、この辺りの区別とかには詳しくないので認識があっているのかはわかりません。そりめん。)
そこは、地域に開かれていると言うだけあって、
ほぼ毎日住人以外の方々の利用があるんです。
大学のすぐ近くなので、授業の空きコマでお昼寝をしにくる子がいたり、
レポートを書きにくる学生さんがいたり、地域のおじちゃんおばちゃんが遊びにきてくれたり、イベントに参加される社会人の方が来てくれたりなど、とにかく沢山の方に利用していただいています。

そんなシェアハウスの中で僕は、1年半前に住み始めた時には「はなれ」に殆ど顔を出さない人だった様です。自室に引きこもりがちで、1人でパソコンと睨めっこしていることが多い人でした。
けれど、最近はどういう訳か、頻繁に現れる様になって普通にお客さんと
コミュニケーションをとっている。

それが、今回書いていこうと思う、むらたの最近の変容です。
(変容なんて大袈裟に言ってみたんですが、カッコつけすぎですね笑)

前置きが長くなってしまいました。
ここからが本題になります〜!
(ここまでで既に800字。文章って難しいのね、、)


尾瀬の朝靄。

尾瀬ってたまにしか行かないのに、訪れるたびに帰ってきた感じがするのです。
それがいつも不思議。


既に書いてきた様に、
僕はここ最近でよく「はなれ」に顔を出すようになったらしいのです。
そして、そこで多くの人とお話しできるようになりました。
その原因は、どんなところにあるんだろうと自分でも不思議に思っているのですが、妙に納得できている部分もあるのです。

それは多分、最近のむらたは素のままに過ごさせてもらっている感じがするからだと思うんです。

これまで、他人と会話をするときって特に意識しなくても、
どこか構えてしまっている自分だった様な気がします。
「この人がどんな人であろうと、こちらはガードを下げないぞ!!」
みたいな。
なんて言うのかわからないけど、そんな固さが自分の中にあって、
その固さや重厚さに自分でも負担を感じていて、
人と話すのがいつからか億劫になっていたのかなと思います。

それが、どんな訳だか最近は、ガード下げまくり。
脇空きまくりで隙だらけな、むらたになっている様なんです。

なんでなのかしら。


これtwitterの拾い画なんですけど、1,2年前から大好きなんです。
なんだろう、この緩さ。

今の僕の結論は、
ある種、対人関係で傷つかないことを諦めた。
というのか、
それもまた人生なのかもね。
みたいなテンションになれたからなのかなと思っています。

誰かと話すには、当たり前だけど、お相手が必要で、
その相手と考え方や価値観が違うことって普通にあるじゃないですか。
けど、そういう違いとか小さな違和感をまるっと受け入れてしまうことに
したんじゃないかなと思っています。
(なんだか他人事っぽい書き方ですね、笑)

受け入れるって言ったら、なんだか自分がホストっぽい感じがして
烏滸がましいかもしれませんが、そう言うことじゃなくて、
先入観とか無しにして、
相手をそのまま見つめることにしてみようと思ったのかもしれません。

だけど、それは、自分がどう思われても良いっていうのとは少し違くて、
相変わらず変な風に誤解されるのは怖いけど、
とりあえず自分は相手のことをそのままに、
素の自分で観察してみようって言う感覚なんだと思います。
そうしたら、なんか飾らずに人と話せるようになった気がするし、
色々な人と話すことがプレッシャーにならなくなった気がしているんです。

そんな風に考える様になってから、

そうそう、
昔は人と話すのが大好きだったなあ、とか
知らない大人に絡みに行くのが好きだったなあ
なんて幼い頃を思い出したりもしました。

中学、高校、大学と周りが大人になるにつれて、
どことなく空気を読んで大人しくしていた気がします。

けれど、何となくそうじゃなくても良いんじゃない?っていう様な雰囲気が、最近の僕の周りには流れている気がするのです。
もしかすると、ずっとそうだったのかもしれないけど、
人前で背筋を伸ばすことに必死だった僕は、
そんなことにも気づけなかったのかもしれないんです。

意外と僕の周りの世界は、緩く居ることを許容してくれているし、
ゆっくり進んでいるんだなぁと感じています。

春だからですかね。

そんな単純な理由でもいいかもなって思えるくらい、
コミュニケーションへの不安感がなくなっている最近の自分を、
結構僕は気に入っています。

でも結局は、
周囲に居続けてくださる皆さんのおかげなのですけどね。
いつもありがとうございます!

それでは、また次回。








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