見出し画像

写真と記録をつなぐ旅 ~上湧別町立上富美小学校の息吹~ Ⅲ

ここは、もしや……


昭和55年?


もしかしなくても学校の敷地内です。
自治会の花見会場は、小学校の庭でした。
桜も咲いています。

上富美部落史より

  この敷地図でいうと右下のあたり。鉄棒、滑り台などの遊具が見えます。

 当時のK校長先生によると、
「学校行事は地域の行事~
 小規模校の多くがそうであるように、本校のPTAも部落全戸が会員である。普段のふれあいは児童の来ている4戸が主となるが、何か学校についての労力奉仕的なことには、ほとんど全戸が協力してくれることはありがたい(中略)校庭にある遊園地の芝生の上で、桜の花びらをコップの酒にうけてのみかわす午後の一刻は楽しいもののひとつである」

 ~雑誌「北海道教育経営」1978年7月号掲載~

  あらためて、この地域と学校の位置をおさらいしておく


古い上湧別町の略地図


令和6年の地理院地図より
○が小学校のあった場所

  黄色い部分が、道道336号 上社名淵上湧別線。

さて。

 珍しく真面目な記述になったなあと思っていたら、下書きが雑すぎて自ら全削除したというオチがついている。しかもこの人間、吾輩の存在を知ってか知らずか、誤解を恐れずこの文章構成を楽しんでいたりもするのだ。もはやその真意を探るなど、愚かなることと悟る。

運動会も


使いまわしの看板


昭和5?年ごろ

 前述したK校長先生の記録によると、運動会は学校、PTA,、自治会の共同開催の行事でした。児童の種目だけでなく、父母や中学生、就学前の幼児のものも。また、当日会場で観覧していたならば、たとえ地域以外の人でもリレー競技などに参加した、という話もある。


気合い入ってる


トラクターのタイヤ?


玉入れ競技


児童よりその他が多い……

学芸会も、そして


昭和60年 学芸会プログラム
大人のカラオケもあった

 見てわかるとおり、親世代やそのまた親世代も参加していて、演芸会と言えなくもありません。
 学芸会は部落の神社祭典に合わせて10月15日夜に行われていました(のちに翌日昼開催に)

 昭和50年代になってから祭典余興の一翼を担っているものに芸能祭がある。これが始めの頃は十五日祭日の夜、催していたのであるが五十五年ごろから翌十六日に催すようになった。これは小学校の学芸会を主として、これに自治会、婦人会、寿クラブ(老人クラブ)等が参加した、いわゆる部落ぐるみの催しものであり、戦前青年団が催していた演芸会に代わる催しものとして親戚や他部落の人たちにも喜ばれている。
 ~上富美部落史 祭日と余興 より~

文字どおり、地域ぐるみの学校行事。
また前述のK校長先生の記録を引用させてもらう。

 夏休み前、海浜学校をひらく。
 町のマイクロバスを利用させてもらうのだが、25人くらい乗れるバスに8人(児童、教員含む)の搭乗ではバスがもったいないので部落に声をかける。児童の母親は全員参加してくれる。そのほかに保育所の幼児も来る。おばあちゃんも何人か来る。サロマ湖畔でこれまた楽しい一日を過ごしてくる。
 学校行事が地域の行事と結びつけて行われることは学校行事のねらいからいっても問題の多いことは、他からいわれるまでもないことだが、このような地域では、なかなかすっきりした形では実施できないのが現状である。
 ~前出~


 昭和50年代、この部落の世帯数は学校職員を除き17世帯で、昭和60年は11世帯となっている(部落史)

 『……だから、地域の行事と学校行事を完全に切り離すほうが無理。
 学校の先生もいろいろと大変だったろうなあ……』

 ???
 何か聞こえた気がする。

残したいもの。それは今……


樹木園での作業風景

 昭和44年から昭和48年に在籍されたS校長先生が、
 閉校記念誌の回顧録に「残したいもの」という題で8つのものをあげています。

1、上富美遺跡の土器・石器
2、上富美地区地質図及び岩石標本
3、北海道教育長山本武氏一行視察記念写真
4、部落開基六十年小学校開校五十年記念写真
5、研究集録
6、「苦根楽果」、風景画の額
7、校歌
8、樹木園

 その8つめ、樹木園は

記念碑
碑の前方にあったと推測

イボタ垣根を残すのみ。
月日とはそういうものです。でもね


旧校門より神社方向を望む

新しい木が植えられたりもしています。
かつての美しい風景もいいですし

昭和5?年 右側には体育館があった

 これからはまた新しい景色を見ることができるのでしょう。
 形は変わっても、残るものはある。

そうだねー♪

 と、余韻などどこかへやってしまいそうなノリ。
 よって、これで終わるーーわけがない。あと2回ほどのネタはそろっているというので、あと2回、ⅣとⅤまでつきあってくれたら嬉しいようである。つきあってくれる方がいなくても、もちろん完結する予定ではあるが。

 今回の表紙? は、小学校の卒業記念作品で、銅板レリーフで作った校章です。

 





















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?