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日記「ど近眼が裸眼で歩くと」

中学一年生の初夏。黒板の字が見えにくくなってめがねを作った。生活するには不便はないから授業中だけめがねをかけることにした。でも教室でいざめがねをかけようとすると恥ずかしくてしばらくかけることなく過ごした。ある日、担任の先生が何か察したらしく「〇〇さん、めがねをかけたら黒板の字がよく見えるんじゃない?」と授業中に皆の前で声をかけてくれた。そして皆の注目を集めた中だったがようやくめがねをかける事ができた。
これが私のめがねデビュー。私にとってめがねをかけることは恥ずかしいことだった。そうゆうのが気になる年頃だったのだ。

中学三年生になるといよいよ日常生活にも不便を感じるようになった。レンズはみるみるうちに所謂、牛乳瓶の底のように分厚くなっていった。父親が極度の近眼だったので似たのだろう。
高校生になる前にコンタクトデビューした。めがねをかけていない自分の姿を遠くの鏡でみた時、私ってこんな顔なんだぁと少し残念に思った。めがねを外したら実はすごく美人だったっていうのはどうやら定番ではないらしいと知った。

朝のお散歩は裸眼でしている。裸眼での視界は写真のような感じでちょっと危ない(すぐにめがねを装着できるようにしている)。全ての輪郭がぼんやりしている。ただめがねもコンタクトもしていないフィルターなしの色はとても鮮やかに感じる。本物の視界の色はこんなにも鮮やかで目の奥にぐいぐい刺さるようだ。剥き出しにされた眼球が妙に感傷を誘う。

衣服を身に纏う事、髪を整える事、 お化粧をする事、全ては生きてゆく為のフィルターなのだという思いに至る。何の為のフィルターなのだろうか。生きてゆくことはそれだけ傷つきやすいものであるのだろう。

全て剥き出しで歩いてみたいと思う。何のフィルターもなしにこの遊歩道を歩いたらどれだけの感傷に浸ることができるだろう。そこからどれだけの言葉が生まれてくるのだろう。

む?  むむ?  むむむむむ?
えっ???  露出狂??? なのか???
いやいやそうゆう趣味嗜好はない。

全て剥き出しで歩いてみたら、おそらく警察に通報されてしまうだろうから、とりあえず今日も服は着て裸眼で歩く。

#日記 #近眼#めがね#コンタクト

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