日記「水のある風景」
まだ紅葉の見頃とまではいかないけれど湖の畔の木々はちらほらと色付いている。
視界は見事に水色。空は有色の水色。湖は無色の水色。
子どもの頃、
水の色は水色、と呼んでいた
石松佳さんの詩の一文を思い出す。人はある時に水に色は無いのに何で水色なんだろうときっと考えたはず。そして科学的根拠を元に有色に見える理由を知るのだろう。説明はできなくでも透明なはずの水に色は付くのだ。
広大な景色をながめていると必ず、私ってちっぽけな存在だなぁ、と子供の頃から思う癖は私のものだけではないだろう。風景の中の小さな一部になる。とても小さな小さな一部。
私にはたくさんの人の人生の一部がある。たくさんの人の存在は大きかったり小さかったり。もしかしたら忘れてしまった一部もあるのかもしれないけど。私は誰かの人生の一部になれているのだろうか。
海とか湖とか河川とか水のある風景はとても好き。
♪~なんでだろう~なんでだろう~
♪~なんでだなんでだろう~
水は自由だからかな。どんな形の器にも器用にちょろちょろっと注がれて、表面張力なんて不思議な現象起こして人を驚かせてみせて、でもって手や服を濡らして跡を残す。だからサリバン先生ってヘレン・ケラーに最初に「water」を教えたんじゃないかな。
日が暮れるまでこの風景をながめていたいな。今この瞬間、私はこの風景の一部ってことが誇らしいんだよ。私は私の大切な人たちの人生のちいさな一部にもなれていないんじゃないかって不安や奢りを水で洗い流しているんです。
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