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*女性であることと女性の詩について改めて考えてみた。

7月23日、松下育男さんのzoom教室にて女性詩人との座談会に参加した。松下先生と女性3人。詩を書き始めたきっかけや投稿や詩作についての話はもちろんこのことだが、やはりテーマは「女性」という点に絞られてくる。そこであまり話せなかったことをここに書き記しておこう思う。

■男と女とは

男と女に分けることは時代的にあまり好ましくない。政治家のなんちゃらかんちゃらに女性を増やせだの、何かの選評委員は男女比率を同じにするべきだの、女性の生理休暇はずるいだの、男性専用車両も作るべきだの、男性は育児休暇が取りづらいだの。ふむ。私はなんだかめんどくさい世の中だと思ってしまう。よく言う差別と区別の違いである。もっと臨機応変に柔軟に分けても分けなくても良いのではないかと思う。

そもそも身体の構造が違うのだから無論、思考も違うのが当たり前であると思う。

男性に生理がわかりますか?
男性に出産がわかりますか?
男性に女性のオーガズムがわかりますか?
私には股の間にペニスがぶら下がっている感覚はわかりません。
私には睾丸をぶつけた時の痛みはわかりません。
私には勃起の感覚も射精の感覚もわかりません。

あるテレビ番組である男性芸人さんが外国の病院で出産の痛みを体験するという企画をやっていた。妊婦さんのお腹の重みを実感できる装具を身につけ、身体にぺたぺたとコードの着いたシールを貼られ電気のようなものを流されて悶絶していた。

射精というものは放尿の解放感に似ているとどこかで耳にして、尿意をがまんしていざ放尿してみると確かに快感に近いものを得ることができた。

しかしながら全てはあくまでも一時的な疑似体験であり本来の痛みも快感も知りうることはできない。

肉体的な違いがある以上は思考も違う。ならば詩も男性と女性では違うものではなかろうか。つらつら長く書いたのだか月並みなことしか書けない。故にそれが事実なのであろう。

■女性であることについて

子供の頃から母に言われてきたことがある。
女はいつもにこにこ笑っていなさい。
女は生理痛くらい我慢しなさい。
女でも学歴は持っておきなさい。
女は30歳までに結婚して子供を産みなさい。
女は家庭を一番に大事に守りなさい。

特に疑いもせずに当たり前のように、いつもにこにこ微笑んできたし生理痛は我慢したし短大を卒業したし30歳までに結婚して子供を産んだ。親戚の叔母さんには出産後「これであなたも一人前の女ね」と言われた。叔母さんにとってどうやら私は半人前の女だったらしい。今は専業主婦で基本的にお家にいるのが仕事である。

私にとって女性であることは母に言われた通りにすることだったのかもしれない。それは一番身近にいる先輩女性の言葉であったから。

人生も折り返し地点に差しかかった頃、私は少し変わることにした。後半戦に漠然とした不安と恐怖を感じずにはいられなかったのだ。
作り笑顔をすることをやめた。
生理痛は我慢せずに鎮痛剤を服用する。
一人前の女なのだから堂々とする。
そしてなにか新しいことを始めようと思い立ち行動を開始する。

数年後「詩を書く」ことに出会い今は若手の女性詩人と呼ばれている。

■女性の詩について

まだまだ詩について勉強不足であるから、現在の私の知識の範囲でしか語れないがそれも良しとして書き記しておこう。数年後の私がこれを読んだ時に笑ってくれても良い。

女性詩人と言えども、詩に女性を全面に出す方もいれば、出さない方もいる。私はおそらく前者。元々は子供の頃から書いていた日記が派生して今の詩風に至るわけだから、やはり日常的なことや女性的なことがテーマになることがほとんどである。

好きな女性詩人は、吉原幸子さん、征矢泰子さん、伊藤比呂美さん、峯澤典子さん、三角みづ紀さん。
その時の気分に合わせて読みたい詩を読む。

中でもやはり伊藤比呂美さんはすごい。あまりのすごさに笑ってしまうこともある。だって胎児はう〇こなのですからっ。 出産や性行為には美しいとか神々しいとかそうゆう側面も確かにある。その反面、生々しさやグロテスクさはどうしたって回避できない。ああまで書き切る伊藤比呂美さんの詩に共感してしまうし拍手喝采してしまうしスタンディングオベーションしてしまう。気分によるけど。

吉原幸子さんの詩との出会いは「昼顔順列」だった。わたし、あなた、女、昼顔、がただ順繰りする短い詩。どこか官能的な雰囲気を醸し出しつつ女性特有のあざとさや醜さや嫌らしさを並べられているようで、はっとさせられる詩だった。

ところで男性の詩人に性的なことを書いている人はいるのだろうか。谷川俊太郎さんの「なんでもお〇んこ」とか鈴木志郎康さんのプアプア詩とかだろうか。

話が逸れてしまった。女性の詩という定義がもしあるのだとしたら男性の詩というのもあるのだろう。しかし女性は出産に関連する身体の変化や心の変化が激しい分、男性よりも特徴的になるのかもしれない。

■最後に

この記事を書いてみて、やはり私は女性的な詩に向いているように思うに至る。ひどい女性差別を受けた経験はない。電車内の痴漢行為や、今思えばセクハラかなと思える男性上司の行動や、自慰行為をしながら車内から声をかける変態野郎や、嫌な思いをしたことはあるが、寧ろ女性である事でお得だった事の方が多いと思える。それに甘えている自分がいるのも確かである。それ故に裏側に潜む憂いや気怠さを表側にひっぱりだして表現してゆきたい。

男女問わず詩を書くことは色々だ。楽しい時も、嬉しい時も、誇りを持った時も、天狗になった時も、苦しい時も、悲しい時も、書けない時も、飽きた時も、諦めた時も、色々ある。詩を書くことを辞めることはできないだろう。ちょっと長めのリードをつけた犬のお散歩をする、くらいの付かず離れずの関係で生涯、詩と関わってゆきたい。

※あくまでも私の個人的な考えですのでご了承願います。

■写真の絵は松下育男さんの「詩のzoom教室」でご一緒の、高瀬二音様が描いて下さいました。zoomでの座談会の様子がとても素敵に描かれていてとても気に入っています。ありがとうございます。

#詩 #女性#女性詩人

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