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主体的な選択

私たちの周りは情報で溢れていて、溢れさせることも難しくなくて、自分で選んでいるように見えて、自分で考えているように見えて、いつの間にか違う所に立っていることがあるのではないか。

これまで私は、自分に主体性をあまり感じたことがなかったけれど、本当は、自分が感じているよりも、もっともーーーっと主体性がないのかもしれないとハッとした。

復職してから働き方を意識的に変えている。休職前の自分なら、ここでもっと頑張っていた、とよぎる場面でわざと力を抜く。立ち止まる。問う。

「コレハヤルベキシゴトナノカ」

生活にゆとりがない時は、なかなかこれが出来ない。
「やったらええんやろ!」になる。

周りの雰囲気に流されないようにするには、私の経験はまだ軽すぎる。ぼわぼわっと浮いてこないように、私生活にも主体性を持っていきたい。そうすればきっと、忙しさオバケに取り憑かれた私がしでかしたであろう、洗濯物散らかし事件や、お風呂場水アカ事件も解決するはずだ。

何が言いたいんだかさっぱり分からなくなってしまったが、ゆとりと主体性は大事にしていこう、ということだ。

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